番外編 ドスト担日記

今回はSixTONESとかマジ関係なく普通にドストエフスキーの話をします。ドスト担日記です。スト担として、ジャニオタとして、得るものは何もありません。興味がある方・ガチで暇な方のみお読みください。


注)
筆者は文学を専門に勉強したことなど一度もなくロシア語もボルシチの作り方も一切知りません。ここに書かれることは全て素人の主観的な奇声です。マジで得るものないのであらかじめご了承ください。



ドストエフスキーってだあれ?

ロシアの小説家。1821年生まれ1881年没。ちなみにこの時代のロシアは「ロシア帝国」。このあと1917年にロシア革命が起こり、ソ連が出来るわけです。革命前夜の帝政末期、闇が深いね~

ドストエフスキーさんは弱小地主(支配者階級の一番下くらい)の家に生まれました。お母さんは16歳の時に世を去り、クソ最低なお父さんが残ります。
教育熱心だけどバチカスに厳しくドけちで乱暴者のアル中、恨みを爆買いした結果領地の農民に殺されてしまいました。
その時ドストエフスキーさんは18歳。難儀な青春時代ですね。

その後工兵学校を卒業し就職するも職場が肌に合わず秒で辞め、作家に転身します。デビュー作の「貧しき人々」は文壇で絶賛され華々しい幕開けとなりますが、続くいくつかの短編は酷評を受けるなどなんやかんや大変な目に。

そうこうしてるうちにドストエフスキーさんは~当時流行り始めていた過激な社会主義サークルに入ってしまったんだ~~!(唐突な激レアさん)

ここからが激重要。

そのヤバいサークルに関わっていたおかげで~ドストエフスキーさんは逮捕され、なんと死刑判決を下されてしまったぞ~~!



……え?おれ死ぬの?マ?えっえっ嘘マジで!?えっ



流石にパニクった彼はマジで判決のあと「わたし本当に死ぬんですか?」と質問したらしい。

事態を呑み込みきれないまま、白い服を着せられ聖書を読まれ、他のメンバーと処刑場に並ぶドストエフスキーさん。


ムリムリムリムリ死にたくない!いや訳わかんないんだけど!生きていることさえ出来たらおれは何だって出来る!1秒も無駄にせず生きてみせるマジで!でも死ぬんや!アーーーー

激パニック大絶望の中、死刑執行人は銃を構えます。



イヤーーーーーー(>_<)!!!!




とその時。



役人:ハイそこまでーーーー!!

ド:!?!?!?!?

役人:たった今皇帝から恩赦が出ました。死刑は中止です。君たちはシベリア流刑になります。



ド:………………………(゜.゜)


こうして死刑は中止に。実は全て皇帝が見せしめのために仕組んだ茶番だったんだ~~!


死を免れたドストエフスキーさんは、極寒のシベリアで辛いムショ生活に耐えながら聖書を読みまくります。
その結果、ウルトラ改心をかまし博愛主義者となってシャバに帰りました。


この経験が、みんながドストエフスキーと聞いてまず思い浮かべる有名な長編小説の数々の基盤となったのです。

※しかしこのシベリア流刑中に持病のてんかんが悪化、その後一生てんかん発作に悩まされることになります。


まあ改心したとはいえ、その後もギャンブル中毒から抜け出せなかったり人妻にばっか惚れたり不倫したり、借金つくって取り立てから逃げた先でカジノに入り大負けして奥さんに泣きついたり、いろいろやらかしつづけました。

それでも心の中にはつねに、人間や生命への絶対的な愛情と慈しみがありました。行動で示せなかったとしても彼の作品には、そういった美しさが溢れかえっているのです。



ドストエフスキーのここが良い!

①細かすぎて伝わらない描写

ドストエフスキーの激ヤバたる所以は、なんといっても「描写が訳わかんないくらい細かい」こと。
特に人物の描写はすごい。ドン引きしてしまう。

ここに一つ例を示します。
「白痴」という作品に登場するエパンチン将軍という人物の紹介です。


『健康、血色のいい顔、黒いけれども丈夫な歯並び、ずんぐりした頑丈な体格、朝の役所で見せる万事に気のつく表情、トランプをやったり閣下の前に出たときの陽気な顔つき、こうしたものはすべて将軍の現在と未来の成功を助け、その生涯を多くのばらの花で飾るものであった。』





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》》歯並び《《



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》》》出勤時の表情《《《




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紹介のクセがすごい!!!!



健康、血色のよさまでは分かるけど、ふつう人を紹介する時に、いきなり歯並びとか出勤時の表情とか言いますか?目のつけどころがシャープすぎる。あなたはその道30年のドルヲタ師範代ですか?


でも、分かる。
めちゃくちゃ分かる。
細かすぎて伝わらないと思いきや、これこそが本当は人物の核そのものなのです。

人が人を理解するということは、長く付き合うなかで目や耳にした膨大な仕草・言葉・表情・行動の集積です。「その人らしさ」をつくるのは、肩書きや実績や派手な逸話では決してないのです。

だって想像できませんか?

「おはよう!お、髪染めたね」
って言うタイプのおじさんと言わないタイプのおじさんって明確に違うじゃないですか。

歯並びが悪いおじさんと整ったおじさん、歯が白いおじさんと白くないおじさん、なんとなく違う人物像として想像しませんか?

つまりそういうことなのです。
無意識のうちに「その人らしさ」を形づくる要素を正確にピックアップするセンス。おいおい君、観察眼・洞察力が鬼レベじゃないか。


②リアリティすごすぎて最早ただの事実

そしてこのようなディテールが、あなたをリアリティの極限に誘うのです。

ドストエフスキーの小説は、冷静に考えればかなりエキセントリックな内容ではあるのに、読んでいるうちは事実にしか思えません。リアリティがリアリティとかの次元じゃないのです。リアル。ただのガチ事実。

例えば「罪と罰」の主人公が殺人を犯した直後の場面。
ある雑居ビル的建物の一室で相手を撲殺した彼は、急いで逃げようとドアに向かいます。すると恐ろしい光景が目に飛び込んできます。


ドアが、ちょっと開いていたのです。


ヤバい!誰かに物音聞かれたかも!捕まる!やばい!アーーーーー

パニクった主人公は咄嗟にドアを閉めます。



いーーや違う違う!!早く逃げなきゃ!!!なんでドア閉めてんの!





……めちゃくちゃリアルじゃね?

私がもし誰か殺した後ドア開いてたら、絶対おなじことすると思う。絶対やる。完ッッ全にイメージ出来る。

このちょっと異様なまでの、笑えないレベルのリアリティによって、読者は全身全霊ガチ感情移入状態に陥ります。

そうなるともうページをめくる手が止まらん止まらん。心臓ドキドキ涙ドバドバ、感情の富士急ハイランドや~!

「読書体験」ってこういうことを言うんだなって感じです。もうそれは「体験」なのです。傍観者ではなくなってしまう。本物の感情、本物のライフイベント、本物の思い出になる。

嗚呼ほんとうにやばい。



③緩急がすごすぎて最早CAN Q!!!!!!!(クソでか声)

もうね、もうドーーーーーーーラマチックなんですよ。展開が。

特に緩急がすごい。


不吉な予感→予感→予感→予感→………………………
→大事件!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

→パニック→絶望→絶望→絶望→ああもう無理……………
→救済!!!!!!!!!!!!!



抽象的に表現するとこんな感じ。具体例はネタバレになるのでここでは出しません。

とにかく次のページ、どころか次の一行を読んだ時にはどんなことになっちゃっているのか、予想がつかないのです。(人生に似てるね!)


だからもう、ページをめくる手が止まらん止まらん。心臓ドキドキ涙ドバドバ、感情の富士急ハイランドですわ。

うん、本当にジェットコースターですよ。
急ーーーーに物事が起きるから、瞬間の感情量が病的に急上昇して、感情が胸から完全に吹きこぼれる。

個人的にそういう時は「ダァーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」と言っています。それしか言えない。

嗚呼マジやばみ。



④人間の弱さへのまなざし

これですよこれ。
ドストエフスキーの小説には、もちろん優しくて素敵な人もいますが、ザ・ノンフィクションにでも出てろという感じのヤバめな人が大量に登場します。

例えば、職を失いアル中になって、幼い子どもや病身の妻が着るものもなく困っているなか毎日ひたすら酒びたりのオッサン。一番上の娘はやむを得ず娼婦になってしまいます。
オッサンは罪悪感のあまり辛くて辛くてしかたがなく、娘の給料をふんだくってまた飲みに出かけ、そんなことを繰り返しているのです。

でも単なるクソ野郎として片づけられるのではありません。
ドストエフスキー自身ギャンブル依存で、「やめたくてもやめられない」がどういう感覚なのか、どれほど不可解で切実なのかを痛いほど承知しています。

小説にはこのクソ野郎の、傍目には白々しく見えてしまうけれど本当は本物の、家族への愛情や信仰心も描かれています。
もちろん彼がクソなのは事実であり、悲惨な最期を遂げます。でもそれは、単に「悪いことをしたから罰を受けた」わけではないのです。現実的に事が進んだ結果自然とそうなってしまった、というだけ。


他にも、人を愛することが出来ず周りの人を振り回し陥れ傷つけてばかりいる女の子がいます。

これに関しても、人を愛せない女の子が出来上がるまでの過程がしっかりと説明されているし、彼女の心の傷やほんのちょっとの優しさが痛々しく描写されます。


通常は偽善呼ばわりされ軽んじられて見過ごされる、悪人の傷ついた善良な心。これに手を伸ばしてヨシヨシする存在がドストエフスキーです。

カラマーゾフの兄弟に次のような一節があります。


『人間とはたいていの場合、それがどんな悪党でも、わたしたちが一概にこうと決めつけるよりはるかに素朴で純真である。わたしたち自身からしてそうではないか。』


これに尽きる。初めからこれだけを書けば良かったかもしれない。お時間を取らせてしまいすみませんでした。



⑤愛と希望が心臓に直接ズドン!

結局はこれでしかない。

たとえバッドエンドと言えるような結末の物語でも、魂の奥深くに愛と希望がブチ込まれて取り除けなくなるのです。

雑に説明すると、



人生に希望あるかな~探してみよう!


ないな~


うーんないか~~


………………………




あったーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!


パァ~~~~~~~~(脳内に光に満ちた空間がひろがっていく音)

(空には天使が飛び交い大地には花が咲き暖かい日光が全てを包む)

(心が激的あったかやわらか状態となる。まるで角煮のように。)



うまく説明できません。ごめんなさい。読んでくれ。読まなきゃわからん。読んでください。お願いします。




●これからドストエフスキーを読む方へ

さて、そんなに言うならいっちょ読んでみようかな~と思ってくれた皆さん。ありがとうございます。

そんな皆さんのために、初心者がつまずきやすい点や対処法をご紹介いたします。ぜひ参考にしてください!


①ロシア人の名前長すぎ問題

ハイ、なんといってもこれですね。

まずはドストエフスキーのフルネームを見てみましょう。

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー

長ぇーーーーーーーーーーーーーー。
でも大丈夫!ロシア人の名前の構造を知って慣れていけば、すぐ覚えられるようになります。

ロシア人の名前は
『名・父称・姓』
という構造になっています。
ここで問題になるのが、ミドルネームである父称です。父称とはお父さんの名前のこと。

例えば
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー
は「ドストエフスキー家の、ミハイルの息子のフョードル」ということになります。

そして割と高い確率で「名・父称」という呼び方が使われるのです。
例えばドストエフスキーの場合なら「フョードル・ミハイロヴィチ」。いちいち、フョードル・ミハイロヴィチが~した、フョードル・ミハイロヴィチ!こんにちは!、とか言うわけです。


いーーーーやフョードルで良くね??名前だけで一行使う勢いか???

父称をつける意味は、日本語でいう「さん付け」的なニュアンスだそうですが、

いーーーーーやフョードルさんで良くね??日本語に翻訳してるんだからよォ?????

と言いたくなるところですね。


でも大丈夫!慣れます。

読んでれば自然にロシア人の名前のパターンを覚えるし、そうすれば初見の名前も一見で覚えられるようになります。
慣れるまでは新キャラ登場の度にメモるか、忘れるたびにネタバレ覚悟でググるか、気合いで覚えれば大丈夫です。

ちなみに私は初めて罪と罰を読んだとき、初めの4分の1くらい登場人物の名前ひとつも覚えてませんでしたがノリで分かったしめちゃめちゃ感動しました。
どうにかなります。


②ロシア人の名前、愛称意味不明問題

ロシア人の名前には愛称があります。アメリカ人でいうトーマス→トムみたいなやつです。
これが意味不明です。

例えばカラマーゾフの兄弟に登場する「ドミートリー」の場合、

他人→ドミートリー
友達など親しい人→ミーチャ
家族や恋人が特にらぶみを感じてる時→ミーチカ



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いやミーチャって誰~~~~~~??


ドミートリーをどうしたらミーチャになるんですか?まさか「ミー」の部分?正気か?
しかもらぶみの深さによって愛称変わるって何?

ドミートリーはあんま偉い人じゃないからこれだけだけど、ちょっと偉い人だったらこれに加えて「名・父称」で呼ばれたり「姓+役職名(将軍とか公爵とか)」で呼ばれたりもする訳だ。

統一しろ、呼び名を。

と言いたくなるところですね。


でも大丈夫!慣れます。


③ちょっと何言ってるか分からない問題

・まわりくどい
・一文が長い
・伏線はりすぎ
・リアリティ追求しすぎて話下手な奴が多い

といった理由により、ちょっと何言ってるか分からない時があります。

特に回りくどさはハンパない。
文章じたいが二重否定だったり、台詞であれば最後まで皮肉たっぷりだったり、とにかくいちいち回りくどい。
そしてそのせいで一文が長い。

また伏線をはりまくってあるので、単純に読者がまだ知るよしもないことについて登場人物が長々意味不明な会話をしたりします。
その場合マジで分からない。

そしてリアリティ追求しすぎて話下手な奴が多い。
単純に「あっ」とか「えっと」とか多いし、例えば「彼はとりとめもなく断片的に話した」で終わらせるんじゃなくてマジでその「とりとめもない断片的な話」が一言一句全部書いてあります。そのあとで、周りの人の「ちょっと何言ってるか分からない」みたいな反応が書いてあったりして、読者も彼ら同様『時間を返せ!』になるのです。

そういう理由だったり、単純にクソ多弁な人物も多いので、一人の台詞が何ページも、場合によっては何十ページも続きます。ロシア、国民総校長社会ですか?


でも大丈夫!慣れます。


④途中しんどすぎ問題

ドストエフスキーの小説は読んでいて嫌な気持ちになることはないし、最終的には愛と希望がズドンするのですが、途中のしんどいシーンが非常にしんどいです。
正直とても悲しい気持ちになります。

でもその分、悲しみの果てで優しい出来事が起きたり希望が見つかったりした時の幸福感は格別です。


もうほんとに、とにかく、彼の小説はいちいち『人生』なのです。

だから大丈夫。脳みそ引っくり返るような感動が全てを購います。


⑤とりあえず罪と罰を読んでください

とりあえず罪と罰を読んでください。
台詞多めで読みやすいし、長すぎないし、サスペンス・ラブストーリー・友情・青春・社会問題など色んな要素があってエンターテイメント性も高いです。
話そのものも分かりやすめで、大抵の人が感動できる内容だと思います。



長々と失礼しました。

皆さんぜひ、手もとにハンカチをご用意のうえドストエフスキー作品をお読みください!!
一緒にドスト担を満喫しましょう!