稀代の虚妄パラダイス小説、エヴゲーニイ・オネーギンを紹介させてくれ

!注意!:このブログは盛大なネタバレを含みます。普通に小説を読みたい方は注意してください。

 

 

 

皆さんの虚妄の源は何ですか?

 

 

漫画、映画、歌詞、純粋な妄想、色々あると思います。

私の場合は小説です。私は小説を読む時、頭の中で好きな俳優やアイドルに演じてもらっています。

それによって、小説の世界も鮮やかになるし、演じてもらった俳優やアイドルのことも一層好きになるという相乗効果があります。虚妄バーストです。

 

 

そして数多ある小説の中でも、特に虚妄向きの小説が存在するのです。

今日はその中でも突出した虚妄パラダイス小説である「エヴゲーニイ・オネーギン」について語らせてください。この感動をどうしても共有したいのです。

ぜひ皆さんの明日からの虚妄にも使って頂ければと思っています。

よろしくお願いします。

 

 

 

Let’s go !!

 

 

「エヴゲーニイ・オネーギン」は、19世紀前半、ロシア帝国の国民的詩人であるプーシキンによって書かれました。チャイコフスキーによってオペラにもなっています。

原文は韻文になっているそうですが、私は岩波文庫から出ている散文に訳されたものをを読みました。韻は踏まれていませんが詩的な文章がひたすら続いていて、大変胸熱です。

慣れていないと少し胃もたれするかもしれませんが、気になった方はぜひ読んでみてください。

 

 

まずはズバリ、小説の内容を全てバラします。

ネタバレが無理な方はまず小説を読むことをおすすめします。

 

 

 

主な登場人物は4人です。

エヴゲーニイ・オネーギン…推定22歳。遺産を相続した貴族の青年。天性のあざとさで幾万の女を泣かせてきた、恋愛偏差値10000のハイパー陽キャ。だが20歳手前くらいで世の中の何もかもに興味を失い、都を離れ田舎の邸宅に引きこもってしまう。冷淡で傲慢な皮肉屋。

ヴラジーミル・レンスキイ…推定18歳。こいつも遺産を相続した貴族の青年。心も顔も綺麗な詩人。田舎に移ったオネーギンのご近所さんで、親友になる。

オリガ・ラーリナ…レンスキイの幼馴染で許嫁。明るくて素朴な美少女。

タチヤーナ・ラーリナ…オリガの姉。オリガほど美人ではないし、友達いなくて本ばかり読んでいる陰キャだが、空想豊かで純粋な少女。

 

 

 

以下がお話の内容です。

 

 

レンスキイは子供の頃からオリガだけを心から愛していて、ことあるごとにオネーギンに彼女のことを話していました。

一度そいつを見てみたくなったオネーギンは、ある日レンスキイに付いてオリガの家へ遊びに行きます。

するとその瞬間、オリガの姉タチヤーナがオネーギンに一目惚れしてしまうのです。

 

胸の苦しさに夜も眠れなくなったタチヤーナは、オネーギンに熱烈な恋文を書きます。

心が荒みきっていたオネーギンですが、その恋文の余りの純粋さに心を打たれ、この娘のことは弄ばないと決めます。

とはいえ、陰キャのタチヤーナに興味はありません。ただ誠実に「自分はあなたの望むような男ではない」ことを説明し、キッパリと振りました。偉いぞオネーギン。

 

後日、何も知らないレンスキイはタチヤーナの誕生日会にオネーギンを連れていきます。

しかしオネーギンはそもそも、こういう社交界のパーティーに嫌気がさして田舎に来たのです。だんだんイライラし始めます。

 

そんな中、オネーギンを前にしたタチヤーナは、取り乱しこそしないもののメンブレを隠しきれません。メンヘラが大嫌いなオネーギンは、そんな彼女の様子を見てイライラが頂点に達しました。

そしてそんなクソパーティーに連れて来やがったレンスキイに腹が立ち、後で嫌がらせをして怒らせてやろうと心に決めます。オネーギン、やっぱ嫌なやつでした。

 

一通り食事が済むと、舞踏会が始まります。

せや、チャンスや!と思ったオネーギンは、みんなの目の前で、レンスキイの許嫁オリガを口説き始めました。

ダンスに誘い、少し踊っては座って面白い話を聞かせ、遂には踊りながら耳元で恋の歌を優しく囁き、片手をぎゅっと握りしめました。エグすぎて草。

 

単純なオリガは普通にやられてしまい、次の曲もオネーギンと踊るわ♡などと言い始めました。

さて、ガチ純愛野郎のレンスキイは大激怒です。部屋を出ていき、そのまま帰宅してしまいました。

 

気が済んだオネーギンが翌朝目を覚ますと、衝撃の手紙が届きました。

それは、レンスキイからの決闘の申し込みでした。

 

予想以上に大変なことになってしまったオネーギンは、全力で後悔し始めます。

しかし時すでに遅し。

貴族のメンツがあるので、決闘を断ることはできません。

 

翌朝、二人は決闘を行います。

オネーギンは後悔していた割に余裕で絶起し遅刻。

銃弾は一発でレンスキイの心臓を撃ち抜き、彼は死んでしまいました。

 

なんて可哀想なレンスキイ。

オネーギンは絶起した割に悔恨と悲しみでいっぱいになり、レンスキイを思い出させる田舎の街を捨て、旅に出ました。

 

その後明るくて単純なオリガはなんやかんやで新しい恋をし、普通に結婚しました。

一方オネーギンのことが忘れられず縁談を断り続けていたタチヤーナは、こいつはダメだとモスクワに連れて行かれます。そこで公爵に見初められ、遂に親の言う通り結婚してしまいました。

 

数年後。

 

旅も面倒になったオネーギンは久しぶりにモスクワに戻ります。

そしてあるパーティーで、見覚えのある顔を発見。

「いやしかし、これが本当にあのタチヤーナなのか!?」

オネーギンは目を疑いました。

 

タチヤーナは公爵夫人として社交界の花となり、あまりに見違えていました。

洗練された服装、毅然とした態度。

彼女は近寄り難いほど美しい完璧な貴婦人になっていたのです。

 

するとウチらのダメ男オネーギンは、とんでもない勢いで彼女に恋をしました。

穴のあくほど彼女を見つめ、影のように彼女の後をついて回ります。

しかしタチヤーナはノーリアクション。狼狽える気配すら見せません。

 

オネーギンは恋煩いでどんどん痩せ細っていきました。

遂に耐えきれなくなり恋文を書きますが、返事はありません。さらに何通か送っても返事はありません。

しびれを切らしてタチヤーナに会いに行きます。

 

しかし彼女から得られたのは、完全な憤怒の表情だけでした。

恋の天才オネーギンは、そこに一片のワンチャンもないことを見て取りました。

彼は病み散らかし、再び引きこもりになりました。可哀想なオネーギン。

 

 

 

…とまあ、そんなお話です!

 

 

とってもロマンチックでドラマチックですね。

そして何より、オネーギンが性癖の塊です。

 

何でも卒なくできるけれど、心にバカでか空虚を抱えている。

人間みんなバカにしてるかと思えば、レンスキイやタチヤーナのような純粋ピーポーに心を惹かれる。

荒んだ冷酷さの裏に、身を滅ぼすほどの情熱を隠し持っている。

 

 

そんな複雑な性格を持ったオネーギンは、本当に様々なアイドルの虚妄に向いているのです。

 

 

例えば、オネーギンのチャラさという側面に注目して、樹に演じてもらうとします。

すると、少女からの純粋な恋文に誠実に対応する樹や、人妻に恋してブッ壊れる樹が見れるわけです。

 

また、オネーギンの中二みのある闇に注目して、きょもに演じてもらうとします。(きょものイメージどないやねん)

すると、メンヘラ女にイラつくきょもや、果てしないあざとさで親友の彼女を口説くきょもが見れるわけです。

 

あえてジェシーにして、普段見れないジェシーのオンパレードにしても良いですね。

中世の貴族の服装もよく似合いそうです。

 

 

とにかく性格が複雑だから、誰で虚妄したとしても、どこかにギャップが生まれるということですね!

 

 

 

さらにこの小説のすごいところは、一見正反対の性格に見える二人の青年が親友になるという、胸熱シンメ展開を内包しているところです。

レンスキイは純粋で感性豊かな青年ですが、愛する女に手を出されれば決闘を申し込む、激しさや勇ましさも持っています。こいつも良いキャラクターですね。

 

オネーギンを樹、レンスキイをきょもに演じてもらえば、正反対だけど親友になる尊いきょもじゅりや、女絡みで仲違いし決闘をする悲しいきょもじゅりが見られます。

 

レンスキイをジェシーにして、J2で並んで舞踏会に現れてもらっても壮観です。

北斗をレンスキイにすれば、不憫な展開が似合ってGOODですね。(北斗をオネーギンにすると普通にイラつくのでやめましょう)

 

 

 

そう、この小説、このようにありとあらゆる組み合わせで虚妄を楽しめるのです!

奥深い、これは相当奥深いですよ!

 

 

 

さあ皆さん、どうでしたか?

あなたなら誰をオネーギン、誰をレンスキイにしますか?

是非いろんな組み合わせで妄想してみてください!

 

 

以上です。ご精読ありがとうございました。

 

 

親友が好きすぎてヒトカラで名脇役20回歌った

どこにいても、何をしていたとしても、君のことばかり思い出し、おとなしく苦しんでいる。



気づくと教授が私に話しかけてきている。
ぼーっとした頭の片隅をぶん回して返事をすると、何かを褒められた。
ありがとう、さすが私の頭脳。今日も冴えてるね。

それなのに、こんなに頭がいいのに、どうして分からないんだろう。
どんなに考えても分からない。


何故なのでしょう?
告白したわけじゃないのに、別に振られたわけじゃないのに、私は何故苦しむんでしょう?




高校からの親友が仕事で東京に越して、もう一年以上になる。彼女には今恋人はいない。
この間久しぶりに会ったとき、彼氏がほしいか聞いたら、「うーん、そんなにかなぁ~」と言って笑っていた。
間も調子も表情も、あまりに自然だった。


だから何なのだろう。
今さらどんな返答を期待してたんだろう。
彼女には彼氏がいたこともあるし、子供のころ好きだった人も男の子だった。


そういえば以前2人で遊んでいて帰る時間になった時、
「どうしてそんな悲しそうな顔してるの笑」
と言われたことがある。
「また会えるじゃん」と呆れて笑う彼女に、私も笑顔で手を振った。

"どうして"じゃねぇだろと思いながら、こんなに悲しいのは自分だけなのだと悟った。


思えば彼女といる時感情をあまり出さなくなったのは、あの時からかもしれない。
無意識に感情そのものまで抑えるようになったのも。



どうしてこんなに苦しいんだろう。


それはたぶん、分かってるから。
ってそれさえも分かりたくない。


もういっそ、もうずっと……




…待って、私さっきからとんでもない名曲歌ってない?




"思い出したくもないよなんて 思えば余計にもっと
身体でも頭でもない心が動くの"

(そうそう、心がね、わかるわかる)


"困らせないでよ 苦しくさせないでよ
そんな風に優しくすんなよ"

(そうそう、押すなよ?絶対押すなよ?的なね、わかる、すごいわかるぞ)


"何にも知らないくせして 「どうしたの?」なんか聞いてくんな
他でもない君でこんな始末になってるんだよ"

(えっ…)


"なんて言えるわけもない 僕はいつもと同じ顔で言う
「なんでもないよ」"

(この曲書いたのって私だっけ!?)



気づくと一人でカラオケに来て、Sexy Zoneの「名脇役」を連続で5回歌っていた。


名脇役

それは言わずと知れた史上最強の片想いソング。

全時代、全国と地域、全銀河系で親友に片想いしている全ての者の魂の声を、優しく真っ直ぐに代弁する歌だ。


一行一行、一言一言すべてが共感る(わかる)、激同りまくる(わかりまくる)。胸にブチ刺さり、脳ミソを砕く。

"それはたぶん わかってるから"
で絶望しそうな心を、
"ってそれさえも わかりたくない"
が優しく掬う。
わかってるのにわかりたくない臆病さに、わかりたくないのにわかっている怖さに、そっと寄り添う風磨が餅よりモチモチしている。


聴こえますか?
全宇宙の片想イストたちの、声にならない「わかる」の声が……


名脇役へのわかりみから溢れた涙を、時空を越えて集めて出来たのが、太平洋だと言われています。(言われていない)



6回目を歌いながら考える。


"「世界探したら 星の数ほど他にも 女の子はいるから」
なんてこと 聞いた気するけど"


正直、彼女以外を好きになったことはないから、女性が好きなのか両性好きなのか、自分でもよく分からない。
男性アイドルが好きだし、彼女が好きなのも女の子であることが理由ではないから、性別にこだわりはない気もする。

女の子だけでも星の数ほど、男女合わせればもっと、この世にはどえらい数の人間がいる。
もしかしたらその中に私を好きだと言ってくれる人もいるかもしれない。


それなのにどうしてだろう。君がいいのは。


LINE全然返信しないし、気まぐれで、わがままで、有線のイヤホンはすぐ断線させるし、ワイヤレスイヤホンはすぐ失くすし、味が濃ければ何でもうまいって言うし、でも私が折れそうな時に何故かタイミングよく連絡くれて、小さすぎて不恰好な爪も何だか可愛く見えてきて……そして……あれ?いつから褒めている?


いやマジで君の何がこんなに好きなんだろう。
そんなの数え上げりゃキリがない。君を形成る全ての要素を愛してるから。(突如現れるミスチル)



いや、答えなんかはいいんだ。


ただこの間の電話の声が優しくて、相槌が溶けそうで、こんなに優しい声で話してくれるなんて、この特別さを君が感じてないわけなくない?とか思ってしまう。

だけど全部当たり前のことだよね。
君の声が優しく聞こえるのは、私の心がフニャフニャになってるからなんだろう。
目が合うのも、手が触れるのも、友達なんだから当たり前だ。


それなのに会うたびいつも、

ただちょっと目が合ったくらいで「もしかして」なんて思ってしまって、余りのバカさに思わずもう笑えてくる。

きっと何の意味も持たないその仕草に、私はまた振り回されるんだ。



だけど、彼女が親友として私を大切に思ってくれているのも事実で。

何人かで一緒にいたとき私にだけどっさりチョコくれたし、私が落ち込んでる時は心配してくれるし、嬉しかったことや楽しかったことを逐一報告してくれる。


それを思うといつも心の底が温かくなる。
私こんなに幸せでいいのかな?と心配になるくらいに。


愛は多種多様なんだし、もし彼女が私に向ける友情がとても大きくて美しいものだとしたら、それもまた愛とは呼べないだろうか?
そうだとしたら、そして彼女にこの先も恋人ができないなら、少なくとも彼女に恋人のいない今は、私が彼女の一番なんじゃないか?
それってつまり最早、愛し合っているのと何が違うのだろう。



という具合に、

また同じ"たられば"を繰り返して、"友達"という肩書き背負って、何とかギリギリ君の隣にいられるのです。



もう本当に、



何かしらの間違いでいいから、
私のものになってくれないかな?




"忘れさせてもくれなくて むしろ忘れたくなんかないって
身体でも頭でもない心が言うのです"

(そう、忘れられないとかじゃなくて、忘れたくないんだよ!君に滅茶苦茶にされる人生の方が、君のいない平穏よりずっと良いんだ!)


"だからもう 困らせてよ 苦しくさせていてよ
そんな風に優しくしといてよ"

(本当にそう!君にもらった苦しみだと思うともう愛しく思えてくるもんね!)



ラスサビに来ると毎回声が震える。
泣いてるのか笑ってるのかも分からない痙攣で。


気づけばもう20回同じ曲を歌っている。
通りすがりのジャニオタはきっと察しただろう。


本当にもう、この曲に関わった全ての人にありがとうを言いたい。
この曲がなかったら、ただ黙って自分の気持ちの重さに耐えきれずに潰れて超新星爆発を起こしていたかもしれない。
竹縄さん、アンタ宇宙を救ったよ。



次はいつ会えるだろう。
普段どんなに悶々と苦しんでいても、彼女に会えばその瞬間に何も要らなくなる。

だからこそ、何年経っても何も起こらない。
いつも"今日こそは"と念じながら会いに行くけど、一目見ると欲しいものを忘れてしまうから。
「あれ、これ以上何が欲しかったんだっけ?さっきまでの私気ィ狂ってたのかな?」と思ってしまう。狂ってるのはお前だよ。


今は何をしてるだろう。
今日は何を食べただろう。
夜はよく眠れているだろうか。
会社ではどんな声で話してるんだろう。

いつかは君も誰かの妻や母になるのか?
君はブッ飛んでる所もあるけど常識人だから、きっと友達よりも家族を優先するよね。
幸せな家庭しか思い浮かばないのに、眉間に皺を寄せる自分が嫌いだ。


それでもずっと、死ぬまで私は、君に幸福をもらい続けるんだろう。




そんなことばっかを考えていること、
君が知るのはいつになるかな

真っ赤な嘘、それはゆごほくのおヘソ

 

必然の偶然を、人は運命と呼ぶ。

別々の場所で生まれた雲が、やがて雨となり川を流れ、海で一つに溶け合うように。

枯れた花が地に落ちて、新たな芽を養い、いずれ再び花を咲かせるように。

 

 

プラトンの「饗宴」の一節で、次のような思想が語られている。

原始時代の人間は二体一身で、「男・男」「女・女」「男・女」の三種類が居た。

しかし彼らは力が強く神々に反抗したため、ゼウスによって半分に切られ、バラバラになった。その切断面の痕がおヘソである。

半身となった人間たちはかつての完全体に戻ろうとして、互いに自分の半身を求めるようになった。この追求こそがエロース(愛)である。

 

 

そう、かつての半身どうし。

ゆごほくとは、そういうシンメなのだ。

 

 

髙地は北斗を見つけるために、北斗は髙地と一緒に居るために生まれてきた。

そして今ではもう、互いが互いの人生に深く食い込んでいる。

一つの鉢に植えられた植物の、決して解けない根のようだ。

髙地なしで北斗を語ることも、北斗なしで髙地を語ることもできない。

 

かつての、アイドルになりたくて仕方がなかった少年と、アイドルを辞めたくて仕方がなかった少年。

B.I. shadowが解散しアイドルとしての仕事がなくなったあとも、髙地はアイドルから逃げ出すことより、北斗と一緒にいることを選んだ。

やがて北斗が実質的に髙地をバカレア組に引き入れた。結果二人はSixTONESとして一緒にデビューした。

 

 

そして今、遂に、公式が彼らのユニット曲を繰り出したのである。

 

 

 

 

エモい。

 

 

 

 

すごくエモい。

 

 

 

 

 

マジでありがたい。

 

 

すべては必然だった。必然の偶然の連なり。それはつまり運命。

宇宙の誕生、ビッグバンからここまで、すべてのことが必要だった。

宇宙の歴史のすべてが、このためだけにあったのだ。

 

 

 

 

 

あーー、

 

 

 

 

 

〜絶句タイム〜

 

 

 

 

………

 

 

 

 

 

 

 

“素振りがどうも惰性のようで

カタルシス感じない あなたが薄れた”

 

北斗の儚くアンニュイな歌声で始まるこの曲。

すかさず、

 

“いや見つめる先が愛に変わった

 相槌のみでキスするように”

 

髙地が打ち消すように歌う。

 

 

まるで自問自答だ。

猜疑心と愛、頭の中で終わらない問答を繰り返す二つの心のよう。

 

 

次いで北斗の

“盲目的オンリー 失うことを恐れていた”

に対し、

 

“純粋的な裏返し 正しい愛を掴んでいる”

と髙地。

 

 

MVでは「掴んでいる」と同時に自らの胸倉を握りしめる。

強く自分に言い聞かせ、安心させようとするように。

しかし北斗は、

 

“掴んでいる?”

 

 

振り払うように、間も置かずに疑う。

そして

 

 

 

“真っ赤な嘘”

 

 

 

あえて二人が同じメロディーを歌う。unison― ”調和” だ。

おそらく「真っ赤な嘘」なのは事実だからだろう。だから二つの心でも調和する。

 

髙地が歌うのも「信じる心」ではなく、嘘をも「愛する心」だ。

だから “信じることの裏返し 正しい愛を掴んでいる” なのだ。

 

 

ここにもゆごほくのシンメとしての特性が表れている。

彼らは「疑う」と「信じる」の単純な対応ではない。

猜疑心と「共に」あるのは愛だ。愛ゆえに疑い、あるいは嘘までも愛する。

疑いながら信じることは出来ないが、疑いながら愛することは出来る。

そして猜疑心と愛のあいだで、人は苦しい深みに嵌っていく。

もがけばもがくほど引きずり込まれる。神々さえ持て余した、ガチシンメの強すぎる力で。

 

 

 

ゆごほくだから歌える曲だ。

というかゆごほくだ。

この曲はゆごほくなのだ。

というか、ゆごほくのおヘソだ。

半身だった頃の結合面そのものだ。

 

 

真っ赤な嘘。

それはまさに、ゆごほくのおヘソなのだ。

社会とは拡張された前頭葉か?ーカフカの「訴訟」を読んで

1. 集団的自我と個人的自我


動物はしばしば、個人の利益より種の利益を優先した行動を取る。というより、動物の行動はほとんど全て種の保存と繁栄を目的としていると考えられる。

しかし彼らに明確な「種のため」という意識はないだろう。種の利益に与する行動に本能的に快楽を感じるようプログラミングされているだけだ。このような行動は謂わば、自らの属する種="拡張された自我"のためのエゴイズムと言える。この"拡張された自我"を、以後「集団的自我」と呼ぶこととする。

ところで人間も集団的自我を持つ動物である。例えば人間の雌にとって交尾・妊娠・出産は命の危険をもたらし個人の利益を大きく損なうものだが、この過程は種の保存に必要なため、快楽という大きな動機によって人間世界から決して絶えることがない。さらに抽象的な話をすれば、人間は群れで生きる動物であり、一人一人が集団の利益のために行動することが種全体の繁栄をもたらす。「世のため人のため」という道徳は本能なのかもしれない。だから人間は道徳という概念に異常なほど固執するのではないか。自分は不道徳だからという理由で自殺したり、誰かが不道徳だからといって殺したり。

しかし人間にとって、最終的に利益を得るべき"集団"の範囲は極めて曖昧である。種、国家、企業、家族、等々あらゆる集団の単位があり、それらの利害は互いに対立したり、あるいは部分的に一致したりして複雑に絡み合っている。そこで、何を最終的な利益とするかを決定する確固たる主体、"自分自身"という認識が必要になる。この自分自身に対する認識のことを、以後「個人的自我」と呼ぶこととする。

とはいえ社会適応や共感性の高い人間は、集団的自我に基づいた行動を取りやすい。常識に従い、流行に乗っかり、世論を聞いてそれが自分の意見だとすら思う。人間は社会的な動物なのだから、それが自然であり合理的なのだろう。もしかしたらオランウータンのように一人きりで生きる動物の方が、多くの人間より明確に独立した個人的自我を持っているのかもしれない。

一方で人間は余りに抽象的な感情や概念を生み出せるため、時には集団より個人の利益を意図的に優先させる者もいる。それどころか自分の属する集団全体や、ともすれば人間という種そのものを積極的に憎み、損害を与えることもある。このような個体においては、個人的自我がより強く認識され、集団的自我の意識は乏しいと考えることが出来る。

このように人間の集団的/個人的自我の配分には大きな個人差があり、それが人間を複雑で興味深い存在にしている一因なのかもしれない。
ところでしかし、究極的には個人の精神の中において、両者をはっきりと区別することは非常に困難である。集団のための行動も個人のための行動も結果として自己に快感をもたらすものであり、根本的な動機は同じに見えるからだ。行動が結果として社会に利益を及ぼすか否かで客観的に分類するのにも違和感がある。何故ならここで議論しているのは自我の感覚であり、自我は内側から感じる極めて主観的なものだからだ。結局のところ、集団的自我は個人的自我と複雑に絡み合いながら曖昧な形で人間の精神に根を張っていると思われる。人は皆、本能的に多かれ少なかれ拡張された自我を持ち、他者とつながりながら集団に隷属して生きる側面を持っているのだ。

これらの考察から、"社会"とは集団でありつつも、個人一人一人の精神に入り込んで存在していると言える。


2. 社会的暗喩と精神的暗喩

カフカの「訴訟」は全編が何かの暗喩で出来ている。それら全てを社会風刺と捉えることも出来るし、精神的な葛藤の暗喩と捉えることも出来る。


3. 社会とは拡張された前頭葉か?

前述の社会的暗喩、精神的暗喩としての解釈を合わせて考えると、社会という有機体と個人の精神の共通点が見えてくる。
個人の精神はあらゆる情報や感覚、衝動、想念を統合し前頭葉でつくられている。社会とは、あらゆる人間の行動や関係性を統合しマクロ的な精神を形成する前頭葉なのかもしれない。





という感じで「訴訟」の感想文を書こうと思っていたが、どうしても言葉に出来ない感情が多い。当たり前だ、はっきりした言葉で説明できないから、カフカだって小説を書いたのだ。それを私なんかが無理やり言葉で表そうとする試みなど不毛にちがいない。

ということで感想文を書くのはやめた。ただ、いくつかの大まかなポイントだけ雑に列挙しておこう。


・人間は誰しも、知らず知らずのうちに、本能的に、許されることを望んでいる。一方で罪悪感も抱えている。その問題をはっきりと認識し、悩み苦しむ人間が、この訴訟の被告である。

・しかし許しを与えるのが誰なのか、実際自分の何が間違っているのか、何故許しなど請わなきゃならんのか、それは誰も知らない。私が先程論じたように道徳が本能の要求なのであれば、最高審はホモ・サピエンスの繁栄なのかもしれない。だとしても人間の頭で理解できる形での、つまり論理的な解決は難しいだろう。ホモ・サピエンス全体の長期的な繁栄など予測できないのだから。

・判決は事実的に出せないため、訴訟は盛り上がりと盛り下がりを繰り返しつつも死ぬまで永遠に続く。死が判決なのではない。死は一時的な答えでしかないが、そこで被告が消滅するために「終わり」に見えるだけである。

・事実的に出せないなら、判決など存在しないのも同じだ。だからこんな訴訟は不毛である。と分かっていても逃れられない。一度逮捕されたら最後。

第8話 あくまでSixTONESの話をしよう

これまでなんやかんや「自分がSixTONESにハマった経緯」や「こーちの危険性」についてしか話しておらず「SixTONESの話」はしていないことに気づいた。あげく何の関係もないドストエフスキーステマまでブチ込んでしまったので反省している。

あくまでSixTONESの話をする。それがこのブログの主旨だ。見失うな、己の進むべき方向性(みち)を。

ということで今回は、6人について私の見解を示したいと思う。



ジェシー
キャッチコピー:人類のセンター

Center of The World こと、僕たち私たちのジェシー。You are マントル、真っ赤に燃えさかるこの地球のセンターだ。
真ん中とかエースとかじゃなく「センター」。「センター」という観念・オーラ・atmosphereが肉体という実態を得たにすぎない。ホクロの一つ一つが北極星


うたってほしい歌:あまく危険な香り/山下達郎

まずジェシーには不幸な恋の歌をうたってほしいというのが前提にあり、この曲の「報われぬ愛の予感」という切ないタイミング設定が最適だと考えた。
リズミカルでありながら繊細な曲調もぴったり。マジで早くうたってほしい。



●きょも
キャッチコピー:姫と王子のtwo face

きょもが姫で王子であることは疑いようもない事実だが、ここで注意してほしいのは「お姫さま」じゃなく「姫」、「王子さま」じゃなく「王子」であるということである。
つまり概念としてではなくマジ階級・身分としての姫であり王子なのだ。
っつーことは、ゆくゆくは「妃と王のtwo face」になるということか。マジ Majerty (マジ マジスティ)じゃん。


うたってほしい歌:夜間飛行/ポルノグラフィティ

晴一さんらしい女性目線のじめっとしたバラード。テンポはスローだけど熱量のあるメロディーで、サビでいきなり高音を出すところがきょもにうってつけだと思う。
歌詞も
「君が言ったのは『月がきれい
美しい言葉ね 的はずれでも」
の部分がきょもの中二属性に通じて良い。



●ほっくん
キャッチコピー:神が二徹した彫刻

ほっくんはただもう完ぺきな美青年。美青年とはこのことか。
まっすぐに通った鼻筋、なめらかに湾曲した額、広く頑丈な肩と骨ばった手、すらりと伸びたしなやかな体躯。
もはや文学的でさえあるほどの造形だ。これは世界を7日で作ったと噂の神も二徹したに違いない。(神、ワークライフバランス取れてる?)
初めて生で見た瞬間は時が永遠に止まった。この世のものとはとても信じがたかった。何かすごいヤバい掟に反した魔術によって存在してるんじゃないのか?むしろその方が納得できる。


うたってほしい歌:Make-up shadow/井上陽水

ほっくんは歌をうたうと不思議な滑舌になるので、何言ってっか分かんなくても気にならないものということで井上陽水をチョイスした。さらに陽水の曲の中でもアイドルが歌ったら素敵だろうな感つよいのがMake-up shadowだった。双方からの歩み寄りという形。
サビの「あのくちづけ」の「け」を思いっきり甘く発音してほしい。

※ちなみに私の中の安直オタクは「BLANKEY JET CITYの『くちづけ』も良いんじゃね?」と言っている。歌詞が如何わしいのとシャウトしたり囁いたりしなきゃいけないところがサブカルの純粋概念だから。でも安直すぎるので理性が却下した。



●樹
キャッチコピー:大人の階段の踊り場

この国の女たちは樹という踊り場を通って大人になっていく。大人びた態度と華奢すぎる体型のアンバランスがあまりに危うい。生きてるだけで修羅場。修羅場踊り場、踊り場修羅場。
少女たちよ、あと数段のぼれば彼が待ちぶせしているよ。大人になった女性は振り返って、せつない上目遣いにやられろ。


うたってほしい歌:PUNKY BAD HIP/BLANKEY JET CITY

「世界が終わるまで待っててベイビー」という台詞があるんだけど、「ベイビー」を囁く瞬間にバンドの音が消えるのがとてもセクシーで素敵。樹にもぜひ囁いてほしい。もうこの台詞だけでもいい。ぜったい似合うと思う。
全体的にうたうというより喋る感じなのもラッパー向き。ベンジーはシャウトしているけど、樹が余裕綽々の語りをカマすのも良さそう。



●慎太郎
キャッチコピー:国民の末っ子

慎太郎は末っ子。弟や後輩ではない。キュートさや甘えよりは気づかいという意味での「下の子」属性である。未来永劫、国民を気づかい国民に愛される存在であれ。


うたってほしい歌:猫になりたい/スピッツ

「消えないように傷つけてあげるよ」
あえてこのキラーフレーズをあのリアコ声で言ってほしい。想像しただけでヤバい。ピャーーハーーーー危ねえ。
派手じゃないけど王道J-popでぬくもりのある曲調も慎太郎にぴったり。でも危険性が高いね。



●こーち
キャッチコピー:異常に素敵な人間

「あれ!?なんか異常に素敵な人間いる!だれ!?」と思った時は大体こーちだ。「異常に素敵であること」が職務であるアイドルとして、最高の仕事ぶり。うん、なんかね、リアコだけどアイドルだよ。やっぱりあなたは。いっぱい好き。


うたってほしい歌:愛のために/奥田民生

「愛のために あなたのために 引き受けましょう」の一節はこーちそのもの。
個人的には「知ってるんだぜ 君ごのみのワールド」を言われたい。
こーちが歌ったら民生の脱力したカッコいい歌いかたとはまた別の、歌のおにいさん的な優しい魅力が出ると思う。
ぜったい素敵だから早くうたってくれ。



ハイ、いかがだったろうか。
かなり私的な見解なので皆さん思うところもあるだろうが、何卒大目に見ていただきたい。

もちろん当初はSixTONES全体のバランスといった話も盛り込もうと考えたのだが、他のアイドルを全然知らないので叶わなかった。
無知はつらい。教育は社会の基盤だ。これから集中して学んでいこうと思う。

熟練のヲタクの方々におかれては、今後も何卒なま暖かい目で見守って頂ければ幸甚の至りである。

番外編 ドスト担日記

今回はSixTONESとかマジ関係なく普通にドストエフスキーの話をします。ドスト担日記です。スト担として、ジャニオタとして、得るものは何もありません。興味がある方・ガチで暇な方のみお読みください。


注)
筆者は文学を専門に勉強したことなど一度もなくロシア語もボルシチの作り方も一切知りません。ここに書かれることは全て素人の主観的な奇声です。マジで得るものないのであらかじめご了承ください。



ドストエフスキーってだあれ?

ロシアの小説家。1821年生まれ1881年没。ちなみにこの時代のロシアは「ロシア帝国」。このあと1917年にロシア革命が起こり、ソ連が出来るわけです。革命前夜の帝政末期、闇が深いね~

ドストエフスキーさんは弱小地主(支配者階級の一番下くらい)の家に生まれました。お母さんは16歳の時に世を去り、クソ最低なお父さんが残ります。
教育熱心だけどバチカスに厳しくドけちで乱暴者のアル中、恨みを爆買いした結果領地の農民に殺されてしまいました。
その時ドストエフスキーさんは18歳。難儀な青春時代ですね。

その後工兵学校を卒業し就職するも職場が肌に合わず秒で辞め、作家に転身します。デビュー作の「貧しき人々」は文壇で絶賛され華々しい幕開けとなりますが、続くいくつかの短編は酷評を受けるなどなんやかんや大変な目に。

そうこうしてるうちにドストエフスキーさんは~当時流行り始めていた過激な社会主義サークルに入ってしまったんだ~~!(唐突な激レアさん)

ここからが激重要。

そのヤバいサークルに関わっていたおかげで~ドストエフスキーさんは逮捕され、なんと死刑判決を下されてしまったぞ~~!



……え?おれ死ぬの?マ?えっえっ嘘マジで!?えっ



流石にパニクった彼はマジで判決のあと「わたし本当に死ぬんですか?」と質問したらしい。

事態を呑み込みきれないまま、白い服を着せられ聖書を読まれ、他のメンバーと処刑場に並ぶドストエフスキーさん。


ムリムリムリムリ死にたくない!いや訳わかんないんだけど!生きていることさえ出来たらおれは何だって出来る!1秒も無駄にせず生きてみせるマジで!でも死ぬんや!アーーーー

激パニック大絶望の中、死刑執行人は銃を構えます。



イヤーーーーーー(>_<)!!!!




とその時。



役人:ハイそこまでーーーー!!

ド:!?!?!?!?

役人:たった今皇帝から恩赦が出ました。死刑は中止です。君たちはシベリア流刑になります。



ド:………………………(゜.゜)


こうして死刑は中止に。実は全て皇帝が見せしめのために仕組んだ茶番だったんだ~~!


死を免れたドストエフスキーさんは、極寒のシベリアで辛いムショ生活に耐えながら聖書を読みまくります。
その結果、ウルトラ改心をかまし博愛主義者となってシャバに帰りました。


この経験が、みんながドストエフスキーと聞いてまず思い浮かべる有名な長編小説の数々の基盤となったのです。

※しかしこのシベリア流刑中に持病のてんかんが悪化、その後一生てんかん発作に悩まされることになります。


まあ改心したとはいえ、その後もギャンブル中毒から抜け出せなかったり人妻にばっか惚れたり不倫したり、借金つくって取り立てから逃げた先でカジノに入り大負けして奥さんに泣きついたり、いろいろやらかしつづけました。

それでも心の中にはつねに、人間や生命への絶対的な愛情と慈しみがありました。行動で示せなかったとしても彼の作品には、そういった美しさが溢れかえっているのです。



ドストエフスキーのここが良い!

①細かすぎて伝わらない描写

ドストエフスキーの激ヤバたる所以は、なんといっても「描写が訳わかんないくらい細かい」こと。
特に人物の描写はすごい。ドン引きしてしまう。

ここに一つ例を示します。
「白痴」という作品に登場するエパンチン将軍という人物の紹介です。


『健康、血色のいい顔、黒いけれども丈夫な歯並び、ずんぐりした頑丈な体格、朝の役所で見せる万事に気のつく表情、トランプをやったり閣下の前に出たときの陽気な顔つき、こうしたものはすべて将軍の現在と未来の成功を助け、その生涯を多くのばらの花で飾るものであった。』





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》》歯並び《《



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》》》出勤時の表情《《《




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紹介のクセがすごい!!!!



健康、血色のよさまでは分かるけど、ふつう人を紹介する時に、いきなり歯並びとか出勤時の表情とか言いますか?目のつけどころがシャープすぎる。あなたはその道30年のドルヲタ師範代ですか?


でも、分かる。
めちゃくちゃ分かる。
細かすぎて伝わらないと思いきや、これこそが本当は人物の核そのものなのです。

人が人を理解するということは、長く付き合うなかで目や耳にした膨大な仕草・言葉・表情・行動の集積です。「その人らしさ」をつくるのは、肩書きや実績や派手な逸話では決してないのです。

だって想像できませんか?

「おはよう!お、髪染めたね」
って言うタイプのおじさんと言わないタイプのおじさんって明確に違うじゃないですか。

歯並びが悪いおじさんと整ったおじさん、歯が白いおじさんと白くないおじさん、なんとなく違う人物像として想像しませんか?

つまりそういうことなのです。
無意識のうちに「その人らしさ」を形づくる要素を正確にピックアップするセンス。おいおい君、観察眼・洞察力が鬼レベじゃないか。


②リアリティすごすぎて最早ただの事実

そしてこのようなディテールが、あなたをリアリティの極限に誘うのです。

ドストエフスキーの小説は、冷静に考えればかなりエキセントリックな内容ではあるのに、読んでいるうちは事実にしか思えません。リアリティがリアリティとかの次元じゃないのです。リアル。ただのガチ事実。

例えば「罪と罰」の主人公が殺人を犯した直後の場面。
ある雑居ビル的建物の一室で相手を撲殺した彼は、急いで逃げようとドアに向かいます。すると恐ろしい光景が目に飛び込んできます。


ドアが、ちょっと開いていたのです。


ヤバい!誰かに物音聞かれたかも!捕まる!やばい!アーーーーー

パニクった主人公は咄嗟にドアを閉めます。



いーーや違う違う!!早く逃げなきゃ!!!なんでドア閉めてんの!





……めちゃくちゃリアルじゃね?

私がもし誰か殺した後ドア開いてたら、絶対おなじことすると思う。絶対やる。完ッッ全にイメージ出来る。

このちょっと異様なまでの、笑えないレベルのリアリティによって、読者は全身全霊ガチ感情移入状態に陥ります。

そうなるともうページをめくる手が止まらん止まらん。心臓ドキドキ涙ドバドバ、感情の富士急ハイランドや~!

「読書体験」ってこういうことを言うんだなって感じです。もうそれは「体験」なのです。傍観者ではなくなってしまう。本物の感情、本物のライフイベント、本物の思い出になる。

嗚呼ほんとうにやばい。



③緩急がすごすぎて最早CAN Q!!!!!!!(クソでか声)

もうね、もうドーーーーーーーラマチックなんですよ。展開が。

特に緩急がすごい。


不吉な予感→予感→予感→予感→………………………
→大事件!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

→パニック→絶望→絶望→絶望→ああもう無理……………
→救済!!!!!!!!!!!!!



抽象的に表現するとこんな感じ。具体例はネタバレになるのでここでは出しません。

とにかく次のページ、どころか次の一行を読んだ時にはどんなことになっちゃっているのか、予想がつかないのです。(人生に似てるね!)


だからもう、ページをめくる手が止まらん止まらん。心臓ドキドキ涙ドバドバ、感情の富士急ハイランドですわ。

うん、本当にジェットコースターですよ。
急ーーーーに物事が起きるから、瞬間の感情量が病的に急上昇して、感情が胸から完全に吹きこぼれる。

個人的にそういう時は「ダァーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」と言っています。それしか言えない。

嗚呼マジやばみ。



④人間の弱さへのまなざし

これですよこれ。
ドストエフスキーの小説には、もちろん優しくて素敵な人もいますが、ザ・ノンフィクションにでも出てろという感じのヤバめな人が大量に登場します。

例えば、職を失いアル中になって、幼い子どもや病身の妻が着るものもなく困っているなか毎日ひたすら酒びたりのオッサン。一番上の娘はやむを得ず娼婦になってしまいます。
オッサンは罪悪感のあまり辛くて辛くてしかたがなく、娘の給料をふんだくってまた飲みに出かけ、そんなことを繰り返しているのです。

でも単なるクソ野郎として片づけられるのではありません。
ドストエフスキー自身ギャンブル依存で、「やめたくてもやめられない」がどういう感覚なのか、どれほど不可解で切実なのかを痛いほど承知しています。

小説にはこのクソ野郎の、傍目には白々しく見えてしまうけれど本当は本物の、家族への愛情や信仰心も描かれています。
もちろん彼がクソなのは事実であり、悲惨な最期を遂げます。でもそれは、単に「悪いことをしたから罰を受けた」わけではないのです。現実的に事が進んだ結果自然とそうなってしまった、というだけ。


他にも、人を愛することが出来ず周りの人を振り回し陥れ傷つけてばかりいる女の子がいます。

これに関しても、人を愛せない女の子が出来上がるまでの過程がしっかりと説明されているし、彼女の心の傷やほんのちょっとの優しさが痛々しく描写されます。


通常は偽善呼ばわりされ軽んじられて見過ごされる、悪人の傷ついた善良な心。これに手を伸ばしてヨシヨシする存在がドストエフスキーです。

カラマーゾフの兄弟に次のような一節があります。


『人間とはたいていの場合、それがどんな悪党でも、わたしたちが一概にこうと決めつけるよりはるかに素朴で純真である。わたしたち自身からしてそうではないか。』


これに尽きる。初めからこれだけを書けば良かったかもしれない。お時間を取らせてしまいすみませんでした。



⑤愛と希望が心臓に直接ズドン!

結局はこれでしかない。

たとえバッドエンドと言えるような結末の物語でも、魂の奥深くに愛と希望がブチ込まれて取り除けなくなるのです。

雑に説明すると、



人生に希望あるかな~探してみよう!


ないな~


うーんないか~~


………………………




あったーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!


パァ~~~~~~~~(脳内に光に満ちた空間がひろがっていく音)

(空には天使が飛び交い大地には花が咲き暖かい日光が全てを包む)

(心が激的あったかやわらか状態となる。まるで角煮のように。)



うまく説明できません。ごめんなさい。読んでくれ。読まなきゃわからん。読んでください。お願いします。




●これからドストエフスキーを読む方へ

さて、そんなに言うならいっちょ読んでみようかな~と思ってくれた皆さん。ありがとうございます。

そんな皆さんのために、初心者がつまずきやすい点や対処法をご紹介いたします。ぜひ参考にしてください!


①ロシア人の名前長すぎ問題

ハイ、なんといってもこれですね。

まずはドストエフスキーのフルネームを見てみましょう。

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー

長ぇーーーーーーーーーーーーーー。
でも大丈夫!ロシア人の名前の構造を知って慣れていけば、すぐ覚えられるようになります。

ロシア人の名前は
『名・父称・姓』
という構造になっています。
ここで問題になるのが、ミドルネームである父称です。父称とはお父さんの名前のこと。

例えば
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー
は「ドストエフスキー家の、ミハイルの息子のフョードル」ということになります。

そして割と高い確率で「名・父称」という呼び方が使われるのです。
例えばドストエフスキーの場合なら「フョードル・ミハイロヴィチ」。いちいち、フョードル・ミハイロヴィチが~した、フョードル・ミハイロヴィチ!こんにちは!、とか言うわけです。


いーーーーやフョードルで良くね??名前だけで一行使う勢いか???

父称をつける意味は、日本語でいう「さん付け」的なニュアンスだそうですが、

いーーーーーやフョードルさんで良くね??日本語に翻訳してるんだからよォ?????

と言いたくなるところですね。


でも大丈夫!慣れます。

読んでれば自然にロシア人の名前のパターンを覚えるし、そうすれば初見の名前も一見で覚えられるようになります。
慣れるまでは新キャラ登場の度にメモるか、忘れるたびにネタバレ覚悟でググるか、気合いで覚えれば大丈夫です。

ちなみに私は初めて罪と罰を読んだとき、初めの4分の1くらい登場人物の名前ひとつも覚えてませんでしたがノリで分かったしめちゃめちゃ感動しました。
どうにかなります。


②ロシア人の名前、愛称意味不明問題

ロシア人の名前には愛称があります。アメリカ人でいうトーマス→トムみたいなやつです。
これが意味不明です。

例えばカラマーゾフの兄弟に登場する「ドミートリー」の場合、

他人→ドミートリー
友達など親しい人→ミーチャ
家族や恋人が特にらぶみを感じてる時→ミーチカ



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いやミーチャって誰~~~~~~??


ドミートリーをどうしたらミーチャになるんですか?まさか「ミー」の部分?正気か?
しかもらぶみの深さによって愛称変わるって何?

ドミートリーはあんま偉い人じゃないからこれだけだけど、ちょっと偉い人だったらこれに加えて「名・父称」で呼ばれたり「姓+役職名(将軍とか公爵とか)」で呼ばれたりもする訳だ。

統一しろ、呼び名を。

と言いたくなるところですね。


でも大丈夫!慣れます。


③ちょっと何言ってるか分からない問題

・まわりくどい
・一文が長い
・伏線はりすぎ
・リアリティ追求しすぎて話下手な奴が多い

といった理由により、ちょっと何言ってるか分からない時があります。

特に回りくどさはハンパない。
文章じたいが二重否定だったり、台詞であれば最後まで皮肉たっぷりだったり、とにかくいちいち回りくどい。
そしてそのせいで一文が長い。

また伏線をはりまくってあるので、単純に読者がまだ知るよしもないことについて登場人物が長々意味不明な会話をしたりします。
その場合マジで分からない。

そしてリアリティ追求しすぎて話下手な奴が多い。
単純に「あっ」とか「えっと」とか多いし、例えば「彼はとりとめもなく断片的に話した」で終わらせるんじゃなくてマジでその「とりとめもない断片的な話」が一言一句全部書いてあります。そのあとで、周りの人の「ちょっと何言ってるか分からない」みたいな反応が書いてあったりして、読者も彼ら同様『時間を返せ!』になるのです。

そういう理由だったり、単純にクソ多弁な人物も多いので、一人の台詞が何ページも、場合によっては何十ページも続きます。ロシア、国民総校長社会ですか?


でも大丈夫!慣れます。


④途中しんどすぎ問題

ドストエフスキーの小説は読んでいて嫌な気持ちになることはないし、最終的には愛と希望がズドンするのですが、途中のしんどいシーンが非常にしんどいです。
正直とても悲しい気持ちになります。

でもその分、悲しみの果てで優しい出来事が起きたり希望が見つかったりした時の幸福感は格別です。


もうほんとに、とにかく、彼の小説はいちいち『人生』なのです。

だから大丈夫。脳みそ引っくり返るような感動が全てを購います。


⑤とりあえず罪と罰を読んでください

とりあえず罪と罰を読んでください。
台詞多めで読みやすいし、長すぎないし、サスペンス・ラブストーリー・友情・青春・社会問題など色んな要素があってエンターテイメント性も高いです。
話そのものも分かりやすめで、大抵の人が感動できる内容だと思います。



長々と失礼しました。

皆さんぜひ、手もとにハンカチをご用意のうえドストエフスキー作品をお読みください!!
一緒にドスト担を満喫しましょう!

第7話 【閲覧注意】脱法コンビ"ゆごじぇ"の実態がヤバい!?

※センシティブな内容を含みます。心臓の悪い方・髙地またはジェシーに落ちている方は読む前に医師に相談してください。


あなたは"ゆごじぇ"というワードを耳にしたことがあるだろうか。

ゆごじぇとは髙地優吾さんとジェシーさんのコンビ名である。しかしこれはただのコンビではない。その余りの危険性の高さから夥しい数の沼落ち事故を引き起こし、今はオタク保護法によって規制されている。

しかしオタクに法律など通用しない。
オタク保護法発令後も、ゆごじぇは脱法コンビとして社会に流通し続けている。にも関わらずゆごじぇに対する国民の理解は進んでおらず、日々新たな被害者が出ているのが現状である。

今回はオタクの皆さんの安全を守るべく、ゆごじぇの危険性について解説しようと思う。


●何故、ゆごじぇはヤバいのか
何故、数あるコンビの中でゆごじぇはこんなにもヤバいのか?理由は大きく分けて2つある。

ジェシーの愛が激重すぎる

まずは以下のインタビュー記事(抜粋)をお読み頂きたい。

ジェシー:
俺、 スパイになって高地が休みの日に何をしているのか知りたいんだよね。 いつもバイクバイク言ってるけど本当に乗っているのか、 ちゃんとおりこうにしているのか見に行ってみたい。

高地:
疑ってるの? どうぞどうぞスパイしてくださいって感じ。 今、 ここに着いたよ、 って束縛系の彼女を相手にしてるみたいにメールしよっか?

松村:
困る時間帯とか場所はないの?

高地:
マジであやしいところが何もない。

ジェシー:
絶対に嘘!



《《ジェシー、ストーカー気質だった!》》

(ショッキングな効果音)


さらに、別のインタビューにてジェシーは以下のような発言も繰り出している。

「好きなコがほかの男と歩いてたら、追求はしないけど連絡はする。
俺、嫉妬深いから(笑)。」


『『俺、嫉妬深いから(笑)。』』

(ショッキングな効果音)





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おもぉーーーーーい!!重いよジェシーさん。


さらにらじらーのゆごじぇ回にて、髙地が視聴者からリクエストされた甘ーいセリフを囁くと何故かアゴまで真っ赤になるジェシー。あなたは恋してる女なのか?

同らじらーにて、髙地が15歳からの恋愛相談にマジレスすると「うわあーめっちゃカッコいい!どうしよ!フフッフッ」とパニクるジェシー。あなたは普通にオタクなのか?


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髙地に対してマジで彼女。


完全に髙地に落ちているね。リアコーチだ。コイツも。もう完全にだめだね。


②髙地が全てを受け止めてしまう

先ほど紹介したインタビュー記事において、ストーカージェシーの衝撃の裏に隠れているのが『全てを受け止めてしまう髙地』である。

該当の箇所をリプレイしてみよう。


高地:
疑ってるの? どうぞどうぞスパイしてくださいって感じ。 今、 ここに着いたよ、 って束縛系の彼女を相手にしてるみたいにメールしよっか?



《《髙地、自ら束縛されてくれる!!》》

(ショッキングな効果音)


そう、髙地は全てを受け止めてしまう。ブラックホールじゃん。包容力が。あなたは全宇宙を内包していますか?

先日、髙地お誕生日サプライズyoutubeにおいて、「お前の恋人のジェシーから」という樹のセリフに対し否定する素振りも見せない髙地が話題になった。
これも、髙地がブラックホールであると考えれば当然のことである。

ということで、髙地=ブラックホールでした!!無限の質量によって時が止まっちゃうよ~~!


注)
アインシュタインが提唱した一般相対性理論によれば質量=時空の歪み(クソ要約)であり、大きな質量が存在するといっぱい時空が歪んで時の流れが遅くなるそうです。


あんま関係ないけど、ジェシーと二人でドライブに行った際(もちろん車は運転してくれるし家まで迎えに来てくれる)、免許を取りたいと言うジェシーに道端の標識の意味をひたすら教えてくれたという髙地おにーさん。
ヤバ恋(ヤバい恋のこと)。エグ恋(エグい恋のこと)。



そしてジェシーを見守る優しい目。

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ジェシーに対してマジで彼氏。

そう、このまなざしが、恋人に対するそれです。(キショ類推)


●ゆごじぇにハマったオタクの末路

※ここからマジでセンシティブです。読む前に一度温かいお茶を飲んで深呼吸してください。

ゆごじぇにハマったオタクは以下の2つの真理を悟ってしまう。

ジェシーは超重量ヘビーに愛してくれる
ジェシー担の皆さん!安心して愛されてください。彼は澄みきった瞳でガチ束縛してくれます。美しい歌声はもちろん罠!おめでとう!

②髙地は超重量ヘビーに愛しても受け入れてくれる
髙地担の皆さん!安心して愛してください。あなたの愛がどんなに重くても髙地が受け入れてくれます。それは愛のブラックホール、2度と抜け出せません!おめでとう!

これらの真理によってオタクたちは安心して愛し・愛されることができ、「これが、"幸せ"か…」状態に陥る。
こうなるともう後には戻れない。なぜならそれは『恋』だから。危ねえ。マジ危ねえ。



皆さん、くれぐれもゆごじぇには手を出さないでください。オタ活は用法・用量・法律を守って安全に楽しみましょう。

NO MORE ハート泥棒。