第6話 リアコ被害にあわないために【髙地版】
1. 目的
本ブログ第5話の掲載後、多くの有識者から「髙地にハマったらもう抜け出せない」との指摘があった。しかし私は「まあ言ってることは分かるが自分は大丈夫」等と言い余裕の構えを崩さず、一切対策を講じなかった。
その結果私のリアコーチ※は恋(現実)へと進行し、精神は再起不能なまでにトチ狂ってしまった。世に言う令和の大フラグ回収である。
この経験から私はリアコーチの危険性を身をもって認識した。
本文書の目的は、髙地におけるリアコ被害の実態・特性・対処法を伝え、これ以上のリアコーチ被害を出さないことである。
※リアコーチ:リア恋な髙地、あるいは髙地へのリアルな恋のこと
なお、リアコーチの基礎知識に関しては第5話【大切なお知らせ】付属の「こーちのこんな所がリアコ!!」を参照されたい。
第5話→ https://nashiole.hatenablog.com/entry/2020/03/03/111854
2. 被害の実態
スト担開始当初、私の愛はせいぜいバンタム級であった。常に一歩引いて見る姿勢が保たれており、アイドルというガラパゴス化した奇妙な文化に冷静に感心していた。
私が完全に油断し、注意を怠ったのは言うまでもない。
しかし現在の私は愛・超重量ヘビー級女(愛が超重量ヘビーな女のこと)となっている。フライ級もミドル級もスッ飛ばし、もう引き返せない所まで来てしまった。
髙地のリアコ化がここまで深刻化した詳しい経緯は未だ解明されていない。
「気づいたら、好きになっていた。」
リアコーチの恐ろしさは正にここにある。
さらに、ヘビーリアコ女にはメンヘラ症候群が高確率で併発する。メンヘラ症候群は涙腺のガバガバ化・不眠・慢性的なしんどみ等の症状を呈し、あたかもメンヘラのように見えることからその名が付けられた。
不運なことに私も重度のメンヘラ症候群を発症した。こーちを見ると涙が出るし、あのくしゃくしゃスマイルが脳内にちらついて眠れない。胸が苦しくてずっとしんどい。
恋がこんなに苦しいものだとは知らなかった。教えといてくれや先に。
もう本当に無理。無理の上の無理。崖の無理の無理。無理の無理のポニョ。
3. 危険な箇所
この項ではリアコーチの特に危険な箇所を実際の事例を用いながら説明する。
①姿勢が悪い
こーちは基本的に肩が上がり首が前に出ている。この姿勢の悪さがリアル感を絶えず醸し出しており、見る人の胸の中で無意識のうちに恋の幼芽が首をもたげてしまうのだ。
リアル感、というと語弊があるかもしれない。私の限られた語彙ではとても表現しきれないが、なんとも言えない柔らかさ・あたたかさ・それと相反する無骨さにあふれた姿勢なのだ。良い意味でのオジサンみ、あるいはお父さんみと言ってもいいかもしれない。慣れと疲れと安定が混ざりあった大人を感じる。見ているだけで安心する。恋じゃん。
このまるめた肩の中に埋まりたい。腕を組んでニコニコしながら見守られたい。しんど。
②縁の下のバカ怪力
JAPONICA STYLEの冒頭できょもが高く舞い上がる場面は誰もが5億回見ただろう。あの瞬間のきょもはマジ不死鳥だ。後光が眩しすぎて逆光でなんも見えない。
しかしあの舞い上がり、こーち1人が後ろでアシストしていることをご存知だろうか。
いくらきょもが姫とはいえ、あんな細い体でワンオペアシストしてるのかよ。私は自分自身がカスカス非力ヤワヤワお豆腐フィジカルなので、重い物を持てる人をとても尊敬している。しかもなんか普通に、ライオンキングみたいな持ち方をしている。いっぱいすごい。
そしてその瞬間、みんなの目はきょもに釘付けになっている。誰もこーちを見ていない。MVに至ってはきょもの上半身しか映っていない。ライブ映像で直前のこーちを見ると、職人みたいな淡々とした表情だ。
うわ…縁の下の力持ちじゃん。否、縁の下のバカ怪力だよ。好き。こういうところが。マジで。
さらに、ということは、ということはだよ。きょもを高い高い出来るなら、重さ的に私のことも高い高い出来るじゃん。きょもの体重知らんけど。付き合ったら絶対高い高いしてくれる。嗚呼やべ。
気になる人は以下URL、JAPONICA STYLEのMVメイキングを見てほしい。きょもを頑張って持ち上げるこーちが映り込んでいるから。(ジャニーズJr.チャンネルさん、無断で借用いたします。すみません。)
ちなみにこちらの映像の中に、ダンスの練習中足をつってしまうこーちも映っている。その時とりあえず曲が終わるまで我慢した後、騒いで笑っている。痛いときにつらい顔をしないのもすごい。私は成人しても虫歯の治療で泣く。
③手がでかい
こーちは引きで見ると分かりやすいが手がでかい。でかくてゴツゴツして綺麗な手だ。リアコ手の典型例である。
手のリアコみはかなり危険性が高いので注意が必要である。作業シーンやお手振りなど画面に映る時間が長く、見ないようにするということが出来ないのだ。動画の最後に手振られた時などヴッと言ってしまう。
また、これは単に綺麗な手が良いという話ではない。こーちの手がこれであるという事実が危ないのである。というのも、①で説明した姿勢にこもるこーちの無骨さが手に出ちゃっているのだ。危ねえ。
嗚呼しんど 嗚呼マジしんど 嗚呼しんど
④地にベタ付きの足
こーちの並外れてエグい点は「ガチで、地に足が付いている」ことだ。
以下は理想の結婚について聞かれた際の回答である。(出典は忘れてしまいました。すみません。)
『中学生のときから、 26歳で結婚して27歳で子供が生まれて、 かっこいいお父さんになるのが夢だった。 でも24歳の今、 考えが甘ちゃんだしやりたい仕事もあるから、 結婚はまだ無理かな(笑)。 オレは自分の幸せを優先するより、 人が幸せな姿を見るほうが好きなの。 結婚したら奥さんや家族を幸せにすることに全力を注ぐよ。』
絶対に幸せにしてくれるすぎる。こーちのこういうのは本当に本当だと思う。本気で本音だし、実際結婚したら家族の幸せのために本当に全力を出す。何故かそう確信できる。ドン引くくらいガチで信頼できる。そう思わせてくれるこーちは本当にすごい。
そしてガチで地に足が付いている。もうあなたこそが大地だ。地=足。これではどんなに気をつけていても好きになってしまう。シャレにならない。
⑤急にカッコよすぎる
先日放送された、デビューまでの数ヶ月を追った密着番組「RIDE ON TIME」(達郎が歌っていたね)にて語っていたSixTONESへの思いが、急にカッコよすぎた。
『SixTONESがなくなったら…最悪です。』
『俺がそうさせない。』
いーや急にカッコよすぎ。あんなにかわいくて優しくて柔らかくてあったかいのに。なーにそれ頼りがいしかねえ。だって絶対本当に守ってくれるじゃん。いざとなったら本当に奔走してくれるんだろあなたは。家庭への姿勢もそうだろどうせ、絶対に守ってくれるすぎる。無理山無理衛門。
⑥ちょっとしたときに素直で優しい
集中して見れば見るほどこーちの良さはボロボロ出てくる。「集中してこーちを見る者は後戻りできない」ということわざの語源はこれである。
こーちの素直さ優しさを表す事例は日々無限に起こっているが、記憶に新しいもので言えば先日のお誕生日インスタストーリーである。
サプライズでケーキが描かれたホワイトボードが出てきた時、笑いながらひとしきりツッコミつつも小声で「いや嬉しいけどさぁ」を入れている。
えっマジで?みんなが自分の誕生日を祝ってくれたってだけで嬉しいの?しかもそれを声に出すの?えっえっ純朴すぎん?めちゃめちゃ感謝を知ってる人間じゃん。パねえ。パねえよ髙地さん。
また、下図はイミテーションボウリングにおいて非常に奇妙な投球をカマし「投げ方カッコいい!」といじられた際、素直に胸に手をあてて喜んでいる髙地さんである。
ディズニープリンセスかー?テメーはプリンセスなのか?大好きになってしまうぞコノヤロー↓卍↑(←まんじが回っている)
これ以外にも無限にあるが無限にありすぎてどの事例を紹介すればいいのか見当がつかない。
カメラに映りたいラウールくんをカメラに映る場所、というか自分の前に引き寄せてあげてしまうこーち。あなたは思いやりの概念が具現化した存在ですか?
こーち運転の京都ドライブで車からファンの子たちに声かけまくっていたら人が集まって来ちゃった時、窓を閉める直前に助手席のジェシーに「ジェシー何か一言だけ言ってあげて」と小声で指示するこーち。あなたは思いやりの概念が具現化した存在です。
⑦何度も言うけど語尾が優しい
何度も言うけど語尾が優しい。
⑧結局あのスマイルにやられる
結局あのスマイルにやられる。
やられた。
4. 対処法
①一番大事なのはハマらないこと
リアコーチ回避において最も有用な手段は「そもそもハマらない」である。
合言葉は4つの「な」
: 見るな・聴くな・読むな・考えるな
だ。こーちを見ない・こーちの声を聴かない・こーちのインタビューを読まない・こーちのことを考えない。
リアコーチでトチ狂わないためには普段からこーちとの接触を減らすことが何よりも重要だ。
②万が一ハマってしまったら
これは恋重量(恋心の重さ)の経時的変化を表したクソ雑グラフである。恋重量が赤線を越えるとそれはリアコを超えて「恋(現実)」と見なされる。
一般的な恋が「気になる期」「うわめっちゃ好きかも期」「究めすぎて飽和期」の3期からなるシグモイド曲線を描くのに対し、リアコーチは「うわめっちゃ好きかもヤベヤベ期」から「あーもう完全に恋。無理。期」へ急速に進行する。そのうえ恋(現実)となっても恋重量は増加し続ける。
リアコーチの最大の特徴はその進行速度だ。したがって出来るだけ早期に対処することが肝心となる。
もし「ハマっちゃった!」あるいは「あれ…?もしかしてこの人素敵か?」と気づいた時は、迷わずに髙地から距離を置いてほしい。髙地断ちが1時間遅れるごとにリアコの恋(現実)化リスクは20%上昇するというデータもある。
リアコーチは普通のリアコとは違う。一度ハマったら底無しの恋の底へ垂直落下、二度と戻っては来れない。
あなたの精神は一つしかない。たとえ解離性同一障害だったとしても、今この文章を読んでいる「あなた」は一人しかいない。ご自身の精神を守る行動を最優先に考えてほしい。
③既に恋をしてしまっていて後戻りできない時は
あなたは助かりません。後の祭りです。私と一緒にアフターフェスティバルに興じましょう。
第5話 【大切なお知らせ】
疫病と差別とデマが春風に舞う今日この頃、ヲタクの皆様におかれましては益々ご衰弱のことと存じます。
この度は私の拙文を読んでくださっている皆さんに、お伝えしなければならないことがあります。
本来であれば、きちんとした会見等の場を設け一人一人の質問にお答えするのが筋ですが、時勢が時勢ですので、略儀ながらブログでの説明という形を取らせて頂きました。
何卒ご理解のほどお願い致します。
私はこれまで、北斗担として執筆活動を行ってきました。
SixTONESに注目したきっかけはほっくんでしたし、もちろん今も大好きな気持ちは変わりません。
彼の外見は最強至高の美であり、第2話で書いたように私の義兄(設定)でもあります。
しかしながら、私には彼と別に、恋をしている人がいます。
それは髙地優吾さんです。
こーちはお義兄ちゃん(ほっくん)の幼なじみで、家も近いので、何かと一緒に過ごす機会が沢山あります。
そうした状況の中で、気づけば私は恋をしていました。
こーちは親友の義妹である私のことを、自分の妹同然に可愛がってくれています。しかしそれは裏を返せば妹としか思われていないということ。
お義兄ちゃんは「こーちはいい奴だよ」と頻りに褒めますが、私がこーちと仲良くするとちょっぴり拗ねます。
(私は何を言っていますか?)
私は正気のオタクです。
髙地に恋をしています。
ユーミンを一緒にうたいたいくらい、ガチでピュアな気持ちです。
(支離滅裂な言動。Hey, Siri. Mets let's. ハ?)
私が北斗担一筋だと信じて付いてきてくれた皆さん、期待を裏切る形となり申し訳ありません。
わざわざ公表しないという道もありましたが、このままリアコーチ(※)を隠して北斗担ブログを書くのは、真の北斗担の皆さんへの侮辱にあたると考え、説明の場を設けさせて頂きました。
※リアコーチ : リア恋な髙地、あるいは髙地へのリアルな恋のこと。
もちろん、ほっくんが2番手になることはありません。
2人は「枠」、期待される優しさの種類が違います。
例)小鳥を飼ったとき
ほっくん :
井上陽水の「カナリア」をうたう。鳥の気持ちに寄り添いたいから。
こーち :
餌は成分にこだわり、太りすぎないよう量や頻度も調節し、鳥の健康を徹底管理する。病気になったらかわいそうだから。
※これはあくまで個人の希望です。
一言でいえば、ほっくんは「推し」、こーちは「りあこ」。担当はいない。
皆様におかれましては今後そう捉えて頂ければと思います。
とはいえ、義兄であるほっくんに邪な気持ちを抱きながらそのシンメであるこーちに恋をしてしまったことは、決して許されるべき行為ではありません。
(私ってホント最低な女。あーあ、ヤベエ女になっちゃった。あーあ。キッショ。現在の私のキショさは57イヨリです。)
※イヨリ : キショさの単位。1イヨリ=backnumberの歌詞一曲分のキショさ
私がキショいというご指摘に関しては、真摯に受け止め対応していく所存です。
予想される質問への回答は下記「こーちのこんな所がリアコ!!」全文にて代えさせて頂きます。
この度はお騒がせしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
《こーちのこんな所がリアコ!!》
(1) 保護者みが深い!
・お片付けしてくれる
youtubeの撮影中、企画で発生したゴミ(包装紙等)をさりげなく片づけてくれるこーち。その躊躇いのなさ、なめらかな手さばき、おごらない表情がとってもリアコ。
私もわざとテーブルを散らかして、さりげなく片づけて貰いたい!
ゴミを片づける以外にも、乱雑に重ねられた雑誌の端をそろえる姿が観測済です。好き。
・空調を調節してくれる
SixTONESのみんなでバス移動中、何度も天井に手を伸ばし空調をいじるこーち。誰に頼まれなくても、見られてなくても、可愛いみんなの快適な旅をサポートしてくれる。
しっかり会話に参加しながらも細かい所にサラッと気を配れる視野の広さはさすがサッカー部。大人の余裕がリアコだね!
・実務能力が高い
急なスト旅行で宿探しを任されても、ちゃんと場所や条件に合う宿を調べて予約してくれるこーち。落ち着いた電話対応がリアコ。
さらに、途中で電話を代わってジェシーにも喋らせてあげます。その後小声で「貸して」と言い電話を回収して予約を完了。
オトウサンデスカー?アナタパパ?パパナンデスカー?パパナンデスじゃん。は?
これぞ保護者みの真骨頂。現実的恋。
・もんじゃを焼いてくれる
SixTONESでもんじゃに行った時、きょもがもんじゃを焼こうとすると、何故か汁だけが鉄板の端に飛び散り凄惨な現場に。(キョモ カワイーネ!>)
二玉目のもんじゃが運ばれてくると、立ち上がりかけたきょもを片手で制し「お前出来ねーから」と小声で一喝、次は自分で真面目にもんじゃを焼いてくれるこーちなのだった。
どんぶりに溶き卵をかけたら8割こぼしちゃう(ガチ事実)系女子・私は、当たり前な顔してもんじゃが焼けるこーちに恋をしてしまう。
注)
Q, 義兄ほっくんと保護者こーちは何が違うの?
A, ほっくんは単に、義兄設定を希望するのに似合う見た目とキャラ。言わば根拠のない虚構の義兄です。
一方こーちはエビデンスのある保護者。こーちの保護者みは希望ではなくただの事実なのです。
Can you 理解?アンダスタン?OK?Let's go.
(2)笑い方が完璧!
・目尻のシワがきれい
こーちが笑うと目尻にキレ~~イなシワが出来るよね。個人的に笑いジワが美しい人だいすきなのです。おなかがあったかくなる。しあわせリアコ。
・首が前に出る
笑うときに肩が上がって首が前に出る。かわいい。恋。
・笑い声が高い
高い声でキャハハッ!キャハッ!って感じで笑う。かわいい。好き。
(3)サボテンにやさしい!
家で育ててるサボテンのために、カーテンをちょっと開けてるんだって。
私もサボテンになって、こーちが開けてくれたカーテンの隙間から光を浴びたい!
参考文献 : Rayのインタビュー記事
(4)喋り方の安心感!
・語尾のイントネーションがやさしい
これは具体例を使って説明します。
まずはこちらの音源をお聞きください。(20秒程で終わります)
注)
こちらは非公式のコンテンツとなります。投稿者さん、無断でお借りしてしまい申し訳ありません。NHKさん、違法にアップロードされた音源を使ってしまいすみません。
こちらの台詞で、「ごめん、嘘だよ」の「よ」は下がり、「何かあったら俺頼れよ」の「よ」は上がります。
前者「よ」は下がることによって真実味が増しています。この「よ」が上がってたら、媚び感が出ちゃうと思うんです。でも下がってるから、本当に「ごめん」って言ってくれてるのが分かる。
そもそも、「バカは風邪ひかないって言うしな~お前なら大丈夫か」程度のからかいで「ごめん、嘘だよ」を入れてくること自体エグい。優吾の優が出てもうている。
そしてそして、後者の「よ」は逆に上がることによって真実味を増しているのです。これが下がっていたら、カッコつけてる感・命令感が出ちゃって、何かあっても頼りづらくなる。
でもこの「よ」が上がってるから、台詞がライトになるしこーちの包容力が世界のすべてを包み込むので、社交辞令じゃなく何かあったら本当に頼っていいんだな、頼ろうと思えますね。
こうした両方向の「よ」を正確に使い分けるこーち。安心感ハンパねえ。恋です。
・声もやさしい
そもそも声じたいがやさしいよね。歌声も歌のお兄さんみがある。
CHANGE THE ERA -201ix-にて披露されたMagical Songの「マジカルソーン」の「ソーン」とかね。
いい感じに脱力した、割と喉から出てる少年らしい声が、私の中のキッズに響く。こーちおにーさーん!
・キャストっぽい煽り
引き続きMagical Songの話にはなりますが、両手黄色ペンラで登場し「皆さーん!行きますよー!」と叫ぶこーち。
「行くぞー!」じゃなくて「行きますよー!」。
私はロックンロールを信じているから、SiMのMAHさんみたいな荒い煽りももちろん大好き。でも、こーちが「行きますよー!」なのは推せる。
ディズニーのキャストさんみたいで、可愛くて優しくてうれしいよ。恋!
(5)飾らない荒さ!
・座り方が荒い
車の後部座席で片膝立てて座るこーち。少し行儀が悪いけど、一般人の一般的な荒さって感じが良いのです。
だって普通の人って片膝立てて座るじゃん?私も立てるもん。
何て言えばいいのかな、言わば庶民感なのだろうか。いやそんな悪い意味じゃないんだよな。
そう、これはリアコ。この感情を、我々はリアコと呼びます。
Can you 同意?同意なくてもWe go next.
・寝起きのしかめ面
寝起きドッキリを受けた際、早朝に起こされてキツそうに顔をしかめるこーち。
ビリビリペンで一瞬マジでイラッとするけど、すぐに笑ってジェシーを受け入れる、僕たち私たちのこーちおにーさん。
寝起きに苦しむ姿のオジサンみが非常にリアコです。
(6)服を大事にする!
脱いだジャケットをきちんと畳んで持つこーち。雑に二つ折りにするのではなく襟の形を崩さない畳み方がとーーってもリアコ。
私もこーちのジャケットになって、肩がまるくなってるハンガーにかけられたい!
(7)趣味がイケている!
サッカーとバイクというプロトタイプのようなイケ趣味を持っているリアコーチ。
シンプルにかっこいいね。早くバイクに乗せてほしい。
は?バイク?こーちの背中?
いやいやいやいやいやいやいやいやオイオイオイオイオイオイオイオイちょっとちょっとちょっとちょっとハーーン
ピー…………
(ERROR)
(シャットダウンしています……)
(くるくるくるくる…)
……………………………………
第4話 サブカルとは何かー「私」に独占インタビュー
昨今、「サブカル」という言葉をよく耳にする。
しかし多くの人にとってこれはかなり掴みにくい概念ではないだろうか。
なんとなく使ってはいるけど、人によって定義も曖昧。松村北斗がサブカルなのは分かる。でもどうして?どこが?と聞かれると困ってしまう。
今さら聞けない、でもどうしても腑に落ちない…。
今回はそんなサブカル研究で一線を走る『私』に「サブカルとは何か」についてお話を伺った。
筆者 :
正直私自身「サブカル」と聞いてもハッキリした意味が思い浮かびません。
この分かりにくさは何処から来るんでしょう?
私 :
一番は意味の曖昧さだと思いますね。
サブカルの正式名称は「サブカルチャー」。「サブ」ということは大前提に「メイン」がある。
メインカルチャーに準じるもの=サブカルチャーという訳です。
ここで問題となるのが「何をメインとするか」ですが、実はそれは個人の価値観が決めるんです。
例えば経済的成功を重視する人にとって"メイン=売れているもの"ですから、そういう人にとってサブカルは「マイナーなもの、アングラ」と同じような概念になるでしょう。
元も子もありませんが、サブカルは本質的に個人的なもの。
「これがサブカルだ」という正解は実はないんです。
筆者 :
なるほど。結局は自分で考えるしかない、と。
私 :
暴論ですよね。(笑)
ただ、特にサブカルとの関わりが深い分野を見ていくと、だんだん共通点が見えてきますよ。
筆者 :
ぜひお聞きしたいです。
私 :
現在、重度のサブカルオタクの原因の一つはスピッツだと言われています。
私自身、10歳の頃にスピッツの「スパイダー」という曲を聴き衝撃を受けたことがきっかけでこの世界に入りました。
アコギの爽やかなイントロに続く
「可愛い君が好きなもの ちょっと老いぼれてるピアノ」
という一節が頭から離れなくなってしまったんです。
筆者 :
でもあれって、誘拐の歌ですよね。10歳で聴いてご無事だったんですか?
私 :
無事じゃなかったからここにいる、と言えるかもしれませんね。
筆者 :
確かに。
私 :
スピッツを構成する二大要素は「ニッチなフェティシズム」と「死」。
それらを美しい言葉選びと優しく虚無に満ちた歌声、ポップで堅実なサウンドが包み込み、時代をこえて人々をサブカルの底に沈めてしまうんです。
筆者 :
なんだか松村北斗さんを彷彿とさせますね。
私 :
そうなんです!(急な大声)
ちょうど今その話をしようとしていました。筆者さんは「ナイフ」という曲をご存知ですか?
筆者 :
いえ…すみません、勉強不足で。
私:
ナイフは「オーロラになれなかった人のために」という初期のミニアルバムに収録された曲です。
とてもマニアックな作品ですが、近年の研究で「冒頭の歌詞、ほっくんに言われたい言葉ナンバーワンじゃね?」との指摘がされています。
ここに資料があるので一読してみてください。
【資料 ナイフ 冒頭】
君は小さくて 悲しいほど無防備で
無知でのんきで 優しいけど嘘つきで
もうすぐだね 3月の君のバースデイには
ハンティングナイフのごついやつをあげる 待ってて
筆者 :
無防備な女の子にナイフを贈りたい気持ちとは、どういうものなんでしょうか。
私 :
シンプルに「心配だから身を守るものを持ってほしい」もあれば、「純粋無垢な彼女を人を傷つける道具で歪めたい」もあると思います。
ちなみにこの歌の主人公は「いつになっても晴れそうにない霧の中で」生きています。
彼は「君」を自分からかけ離れた存在として思い描いており、その齟齬は彼女を彼にとって「嘘つき」にさせている。
だから主人公は「君」という存在がいても孤独なまま。霧の中から抜け出せないんです。
それでも彼なりに「君」のことを慕い、贈り物の計画を立てている。
この歪んだ優しさがほっくんの目にピッタリなんですね。私もこういう優しさを向けられたい。ほっくんに。
筆者 :
かなり専門的な話になってきましたね。
私 :
すみません、つい熱が入ってしまって。
今日はサブカルの話でしたよね、たしか。(笑)
筆者 :
はい、そうでした。(笑)
私 :
サブカル史の観点から行くと、「90年代」も重要なキーワードの一つです。
筆者 :
90年代って、Nirvanaの登場で始まりBLANKEY JET CITYが活躍、タランティーノがレザボアドッグスとパルプフィクションを撮り、スピッツが流行ってカート・コバーンは自殺して、椎名林檎とNUMBER GIRLの出現で超絶怒濤の世紀末を迎えた、あの「1990年代」ですか?
私 :
そうです。サブカル沙汰がてんこ盛りですよね。私の憧れの時代です。
とくにNirvanaは今でも全世界でサブカル中高生の必須課程になっていると思います。
ヘロイン中毒の美青年 × 過剰なまでのディストーション × ボロボロの古着、は流石にエグい。
グランジそのものが90年代、ひいてはサブカルの象徴と言う研究者もいるくらいです。
注)ディストーション:ギターの音をひずませること
デカめの注)
Nirvanaは90年代初期に活動していたアメリカのロックバンド。グランジの一大ムーブメントを巻き起こした。
グランジとはロックの一ジャンルで、性急なビートとギュインギュインにひずんだギターサウンドが特徴。さらにグランジの人がやっていたボロボロの古着といった格好もグランジファッションとして定着した。それはまさにサブカルの合言葉「退廃的」そのものだった。
またNirvanaのボーカル&ギターであるカート・コバーンは100点満点のメンヘラ美青年であり、ヘロインと躁鬱に苦しんだ挙げ句1994年に27歳で自殺した。世に言う「27クラブ」だ。皆さんもせめて27までは粘りましょう。
筆者 :
もし松村北斗さんが90年代に存在していたら、どうなっていたでしょうか。
私 :
そうですね…個人的には、家で煙草吸いながらグランジ流しつつ絵を描いていてほしいです。
猫を一匹飼ってて、たまに膝に飛び乗るけどリアクションは薄い。部屋は煙草と絵の具でとんでもない臭いになっていて、来客は始終微妙な顔をしてる、みたいな。
筆者 :
なるほど。素敵ですね。
だんだん「サブカル=松村北斗さん」なんじゃないかという気がしてきました。
私 :
そうなんです!(急な大声)
人が「これはほっくんに似合う」とか「そこにほっくんを存在させたい」と感じた時、それは既にサブカルなんです。
私が今日一番伝えたいことはこれでした。先に言われてしまいましたね。(笑)
筆者 :
あはははは。
私 :
実際欧米では、「松村北斗に似合うか否か」をサブカルの世界的な指標にしようとする動きもあるんです。
筆者 :
ほっくんが世界のスタンダードに。
私 :
はい。サブカル界隈では日本は世界をリードする立場です。
サブカル学生の皆さんには是非胸を張って世界に羽ばたいていってほしいですね。
筆者 :
私もこの一時間でサブカルについて深く考えさせられました。
私 :
これから国民一人一人が胸を張って自分なりのサブカルを深掘りしていけることを願ってやみません。
筆者 :
本当にそう思います。
本日は貴重なお話、ありがとうございました!
私 :
こちらこそ、楽しい時間をありがとうございました!
第3話 私はジャニオタではない
「私はジャニオタではない。」
あくまでその意識が根底にあった。
実際、初めは本当にほっくんにしか興味がなかった。もっと厳密に言うならば "ほっくんの肩" にしか。
そしてその造形に芸術的達成を見ているに過ぎなかった。あるいはそう思い込んでいたのかもしれない。
「私が好きなのはほっくんの造形。他のメンバーには興味ないしアイドルとして好きな訳じゃない。彫刻を観賞するようなものだ。だから私はジャニオタではない。」と。(フラグやないか)
え?なんですか?
『フラグやないかーー!!』
『フラグだろ!!』
『フラグと認めろー!!!』
ちょっと!不規則発言は慎んでください!ここは人のブログですよ!
これは、これはですよ。つまり、ですよ。要するにこれは、まったくの非ドルオタであった一人の女子大生が…ちょっと!ヤジはやめてください!今は私がしゃべっている。非ドルオタである所から一歩一歩、着実な一歩一歩を積み重ねてスト担に変貌していった過程を記す、もので、あります。
ちゃんと順を追って説明いたしますから辛抱して読んでください。
えっと、なんの話だっけ、、
そうだ、はじめ私はほっくん以外のメンバーには全く興味がなく、いやそれどころか、今となっては信じられないことだが、「うるせえしアホそうだな」としか思っていなかったのである。(←最悪)
いやマジで最悪だな。こういう奴が差別を産む。私は悔い改めた。だが石を投げるなら投げてください。甘んじて打たれよう。
しかし裏切りは世の常。
大抵の望みは叶わない。逆にあり得ないと思われたことこそ現実になる。人はそれを奇跡と呼び、畏れを抱く。
きっかけは樹だった。
あれは6月のはじめ。ISLAND TVに投稿された一つの動画。
6人はブレザーに身を包み、揃って黒髪で立っていた。
黒髪。
黒髪の樹。(くろかみのじゅり。)
くろかみのじゅり 。(クロカミノジュリ。)
クロカミノジュリ。(黒髪の樹。)
お分かり頂けただろうか……
その動画にはなんと、「黒髪の樹」が映りこんでいたのである。(キャーーーーーーーッ)
取材班は当時の私に話を聞くことが出来た。
「バチくそイケメンでしたね。ハイ。本当に爆イケでした。爆イケとはこのことを言うのかと。バチくそに、バチボコにイケメンでした。マジで爆が付くほど (中略) イケが爆してて (中略) バチボコ (中略) 爆 (中略) とてもかっこよかったです。」
この動画を機に、私は他のメンバーにも目を向けはじめた。
するとどうだろう。あーーーみんな可愛くてカッコいいね。
きょもは姫なのに王子だし、こーちは幸せの黄色いアンパンマン。慎太郎は親友の旦那になってほしいし、ジェシーの純粋さは私の汚れきった心に滲みてヒリヒリする。あなたは心のマキロンです。
気づけば私はSixTONESのファンになっていた。
フラグ回収やないか!と思った皆さん、もう少しだけ待ってください。この話には続きがあります。
スト沼に落ちると同時に、ある感情が芽生えはじめた。
それは「ジャニオタの方々への尊敬」である。
ジャニオタたちは、こんなにすごい世界でずっと生きてきたのか。こんなに素敵なものを、真剣に追いかけてきたのか。
ジャニーズの供給量は半端じゃない。そこには無限の解釈、無限の組み合わせがあり、オタクの数だけーーいや、数えきれぬ無限の夢がある。
私は未だ、こんな深デカ無限沼には飛び込んだことがないし目にしたこともない。
例えば椎名林檎は沼と言っても、全楽曲のバンドメンバーを確認し各々の他の活動にも目を通し、ライブ音源を出来る限り集めアレンジを吟味し、MステやSONGSを録画して歌舞伎町や福岡市へフィールドワークに行くくらいで済む。
だがジャニーズというのは、まず登場人物が一アーティストのサポートメンバーの比ではなく、メディアへの露出も音楽番組や音楽雑誌に留まらないし、歌声やダンスだけではなくMC中やふとした瞬間の一挙一動まで観察しなければならない。一口にヲタ活と言っても作業の量があまりに膨大だ。
その無限宇宙を日々開拓しているジャニオタたちの並外れた熱量と知見には脱帽する。脱帽しすぎてハゲる。
前回申し上げたように私は筋金入りのヲタクだ。プライドがある。
これまでに手がけた分野でもプロ意識を持ってヲタ活を行ってきた。その自負が許さない。自分のような未熟なにわかがオタクを名乗ることを。
だからまだ、
私はジャニオタではない。
第2話 義兄という選択
私は筋金入りのヲタクだ。
天高くオタク星の瞬く季節に生まれ、自らの足で立つ前から組織によってオタクとしての極意を叩き込まれたため、オタク以外の道を選ぶことは出来なかった。
4歳の頃はアンパンマンの指人形を集め専用の箱に保管し、定期的に引っくり返してはキャラクター達を居住区域ごとに分けて並べていた。
椎名林檎が「そしたらベンジー あたしをグレッチで殴って」と言えばBLANKEY JET CITYのアルバムを全部聴くし、なんならグレッチの社史まで調べた。
ドストエフスキーの「罪と罰」にハマれば3種類の翻訳を読み、同じ箇所の訳の違いを比較検討する。
関係ないけど光文社 古典新訳シリーズの「罪と罰」巻末には読書ガイドが付いており、物語の舞台である19世紀ロシア帝国の首都ペテルブルグにおける人口動態とそれに伴う犯罪率の変化とかについて書いてある。これこそヲタクが泣いて喜ぶやつじゃん。感謝のあまり額を地面に擦りつけて脳ミソに風穴開けてしまったよ。
脱線した。すみません。
とにかく私は誇りをプロ意識を持ってヲタク業に取り組んでいる。それだけは分かってほしい。
しかしながらSixTONESに出会うまで、私は全くと言っていいほどアイドルを知らなかった。
ジャニーズに限ったことではない。常識レベルの知識もなかった。
これはつまり、私の中にアイドルという概念が定着していないことを意味する。
だから推し方が分からない。
曲の世界観にも付いていけないし、趣味が多すぎて常にお金がなく貢ぐことすら出来ない。
こんな私に出来ることはあるのだろうか?
ジャニーズアイドルという未知のデカ沼を前に、私は路頭に迷っていた。
考えた末、あることに気づいた。
初めてほっくんを目にし衝撃を受けたあの日以来、私は種々のSNSを駆使して彼の美麗画像を集めまくっていた。その1枚1枚に、私は無意識のうちに背景のストーリーを付けていたのである。
「これはお祭りで買ったラムネのフタを開けてくれた後、わざと無断で一口飲んでみせて笑った瞬間」
「これは家のソファに座って飼い犬を呼んだけど無視されて、ムキになってエサ持って呼んでも来てくれなくて、家族に散々からかわれた時」
などなど、それぞれの写真にうつったほっくんの表情や所作の一つ一つに自分なりの解釈を付けていた。それが堪らなく楽しかった。
これだ。
こうして私は、解釈厨という修羅の道を歩むことに決めたのである。
決心した私は手始めに、まずほっくんのための「枠」を探すことにした。
つまりそれは、「私にとってほっくんは何?」という問いである。
…は?
なんだこれ、どっかで聴いたことあるな…
………
……グッバイ!(グッバイ!…グッバイ!…グッバイ!……)
!!!
こんな所にまで!なーにがOfficial髭男dismやねん、このPrivate産毛無思想女が!
失礼しました。只今手違いでグッバイが出てしまいました。不愉快なご気分にさせてしまい誠に申し訳ございません。
……
本当にごめんなさい。
色々な方面に謝りたい、私は。争いのない世界を作りたい、本当に。彼らも彼らでがんばっています。
なんの話だっけ、、
そう、私はほっくんの枠を決めなければならないと思った。
だがそもそも、私はプロの枯れ専(※)業者なのである。(←マジかよ) いきなりこんな若いのが来ても困ってしまう。
※枯れ専 : 社会の荒波に揉まれきったおじさん(一般的に40代以上)を好むこと。またはそういう女性。
しかし若ければダメということではない。枯れ専は一般の方が想像するより遥かに複雑で奥深いのだ。
一言で言うならば、枯れ専とは「関係性への恋」である。
よくある勘違いとして枯れ専=イケおじという考えがあるが、それは一旦忘れて頂きたい。イケおじなど単なる年をくったイケメンに過ぎない。
頬に淡いシミのある、手の骨ばった老眼の中間管理職ーー出来れば既婚。既婚者はバカアツい。子どもが居れば尚のことアツい。
え?不倫?
と思った方は落ち着いてほしい。「関係性への恋」と言っとるじゃろうが。枯れ専はおじさんと付き合いたい訳じゃない。お父さん枠、親戚のおじさん枠、先生枠など、様々な「目上」の枠に当てはめてその関係性を夢想するのである。
ドゥユ アンダスタン?アンダスタンしましたか?
要するに、私が求めているのは「面倒を見てくれる目上の人」なのだ。教えられたり叱られたり見守られたり、とにかく面倒を見られたい。面倒を見られるには立場の違いが必要だ。恋人では対等になってしまう。
そしてほっくんには目上の資質がある。体格の良さと落ち着いたまなざし。だから惹かれるのかもしれない。
どんな目上枠が似合うだろう?
学校の先生?には若すぎる。
先輩?では遠すぎる。
お兄ちゃん?では血縁なので萌えにくい。
では義兄は?
設定としては、離婚した母の再婚相手の連れ子で私より4つ上。私が中学生、ほっくんが高校生の時に兄妹になった。
良くない?ねえ良くないか?
お兄ちゃんだから面倒見てくれるし、兄妹だから祭りにも旅行にも買い物にも一緒に行ける。時間が合えば車で一緒に帰宅できるし、最高だな。
付いてきてる?
私は正気です。
こうしてほっくんは私の義兄枠に決まった。
解釈というより願望だが。
困ったときは、あなたも是非。
義兄という選択。
第1話 保存してもうた
2011年9月30日の朝、私はトガっていた。
その日のニュースは前日に発表されたSexy Zoneの結成・デビューで持ちきりだった。
勝利くんの「Sexy rose…」の囁きの直後に起こる、狂乱した女の子達の大絶叫。全身白スーツに身を包んだ年端もゆかぬ少年たち。
正直マジで意味が分からなかった。完全に「彼らはイカれています。 They are crazy. 」という感じで家を出た。
無理もない。
当時の私は中学生で、「ロックンロールしか信じてません」みたいな時代錯誤も甚だしいキレた子どもだったのだ。しかも哲学書と夏目漱石の小説が好きで太宰治が嫌いだった。好きな漫画までもが浦沢直樹のMONSTERだった。
もちろんアイドルはバチボコ馬鹿にしていた。特にジャニーズなどワケの分からなさがワケ分からなすぎて、「バカが見るもの」と決めつけてさえいた。
そう。あの日、ジャニーズは私から最も遠い存在だったのだ。
時は流れ、大学生になった私はすっかり丸くなっていた。
今や友達と一緒にタピオカ吸い込んだり少女漫画の実写化観たりも出来る。まるい。まるいぞ。
そしてジャニオタの友達(以下Y氏)の丁寧な指導により、ジャニーズへの偏見もだいぶなくなっていた。時代はリベラル。そう、私はリベラルを気取っている。大学生なので。
多様性を支持してはいるが好き嫌いはある。
ドストエフスキーと山下達郎が好きでOfficial髭男dismが嫌いだ。髭が生えてないからではない。奴らには主義("ism")が無いからだ。
関係ないけど山下達郎のRIDE ON TIMEの2番、「RIDE ON TIME 心に火を点けて」の「点けて」がヤバい。ねっとりした発音と「け」が僅かに前のめりに入る絶妙なリズムの崩れで、最強無限のグルーヴが爆誕してしまう。マジ達郎。
脱線した。すみません。
話を戻すと、とにかく私はもうジャニーズを馬鹿にはしていなかった。
しかしそれでも、ハマる心境は分からなかった。だって達郎の方が歌上手いし、見た目も海外の俳優とかの方が美しい。今思えばそういう問題ではないのだが。
そして2019年5月10日。
ネルソン・マンデラが南アフリカ共和国第8代大統領に就任してからちょうど25年が経っていた。その日、私のスマホ画面にも変革の風が吹き始める。
いつものように虚無の顔でスマホをいじっていたら、ジャニオタのY氏からLINEが来た。
開くと、とんでもないとてつもないエモサブカル美青年の写真が大量に送られていた。
私は息を呑みすぎて死にかけた。
「えっなに」「はっだれ」
咄嗟に出た言葉はそれだった。
完全無欠の鼻筋と憂いのある睫毛、どこかぎこちない笑顔、その繊細で危うい空気と奇妙にマッチする頑丈な肩は、兼ねてから人間の関節を愛する私の胸に深く強く響き渡った。
もうお分かり頂けただろうか。
彼こそが、当時まだJr.だったSixTONES 松村北斗さんだったのだ。
ほとんど無意識のうちに親指を素早く動かし、私は呟いた。
「保存してもうた。」